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1992年に千葉県の市川市で一家四人が19歳の少年によって惨殺された事件。

 

逮捕された関光彦は、未成年だったため死刑になるとは思っておらず、少年院行き程度で済むと思っていたという。

しかし、判決は「死刑」だった。

市川一家四人惨殺事件概要

1992年2月12日、千葉県市川市の住宅地を自転車で走る少女を見つけた関光彦(せきてるひこ)は、故意に少女に追突して接触し、病院から帰る途中の少女をナイフで脅して強姦した。

強姦した後、少女から現金を奪い、生徒手帳から住所と名前を控えた。

 

当時の関は、フィリピンパブのホステスに手を出してヤクザから追い込みをかけられており、200万円を用意するよう約束させられていた。

ヤクザへの支払いのために恐喝もしたが、200万円には遠く及ばない。

そこで関が考えたのが、以前強姦した少女の自宅へ行き、金を奪うことだった。

 

3月5日、関は少女を強姦したときに控えた住所をもとに、少女の自宅へ向かった。

少女のマンションについた関は、防犯カメラを避けて外階段で2階に上がり、エレベーターを使って少女が住む8階まで行った。

少女の自宅前に到着したため、チャイムを鳴らしてみたが反応はない。

ノブを回してみると、ドアが開いたため、部屋に侵入した。

 

家に入って居間で金銭を物色していると、少女の祖母が北側の部屋でテレビをつけて寝ていた。

老女の部屋に押し入り、寝ていた老女の体を蹴り上げ、通帳のありかを聞いたが答えはなかった。

関が老女に金銭のありかを聞くと、老女は関に唾を吐きかけた。

激怒した関は、近くのコードを引き寄せ老女の首に巻き付けて絞殺した。

 

少女の祖母を殺害後、再び部屋を物色していると、少女と母親が一緒に帰宅する。

関は、母親の背後に忍び寄り包丁を突き付けると、母親はひるまず抵抗してきたため、力づくでうつ伏せにさせ、少女の目の前で母親を何度も包丁で刺して殺した。

 

しばらくすると、4歳になる少女の妹が保育園の保母に連れられて帰宅した。

関は、少女と少女の妹の3人で食事をした後、少女の妹にテレビを観せるため祖母の部屋にやった。

 

少女と2人になった関は、再び少女を強姦した。

関が少女を強姦している最中に父親が帰宅したため、慌てて包丁をつかんで隠れた。

関は、父親の背後から忍び寄り、父親の左肩を包丁で突き刺した。

崩れ落ちた父親に包丁を突き付けながら、200万円を出すように要求すると、父親は関に通帳の場所を教えた。

少女の母親が経営する事務所にも通帳があることを聞いた関は、少女に電話させ、事務所に残っていた社員に今から通帳を取りに行くと伝えさせた。

その後、関は少女の目の前で父親にとどめを刺し、少女を連れて事務所へと向かった。

 

関が事務所に到着してみると、中には人が残っていたため、少女に通帳を持ってくるように指示した。

少女は指示された通り事務所に行き、両親名義の通帳と印鑑を受け取り、残っていた社員に「ヤクザに脅されている」と伝えた。

その後、関は少女を連れてラブホテルに行き、通帳と印鑑をチェックした後、少女を再び犯した。

 

関と少女は、再び少女の自宅に再び戻った。

 

しばらくすると少女の4歳の妹が目を覚まして泣き始めたため、関は包丁で突き刺したうえ、首を絞めて殺害した。

母親と父親を目の前で殺害されて恐怖に震えていた少女は、幼い妹を殺害されて初めて関への抵抗をした。

関は、少女の初めての抵抗に激怒し、少女を包丁で切りつけた。

さらに関が少女に襲い掛かろうとした瞬間、ドアが開き、駆けつけた警察が関に組みついた。

 

少女の様子を不審に思った社員が警察に届け出たことで、警察が駆けつけて関は逮捕された。

関光彦の生い立ち

関光彦

 

関光彦(せきてるひこ)は、1973年1月30日に千葉県で生まれた。

小学生から万引きをしており、中学生に上がると街をうろつき恐喝を繰り返した。

高校を中退した後は、祖父の経営するうなぎ屋で働き始めたが、それも半年ほどで辞めている。

 

18歳になって一人暮らしを始め、フィリピンパブに足繁く通うようになった。

その後、一人のフィリピーナと結婚したが、事件直前にフィリピンに帰国して戻ってくることはなかった。

再びフィリピンパブに通い、二人のフィリピーナを自分のアパートに連れ込んだ。

このことでヤクザが激怒し、関は200万円を用意することを約束させられた。

死刑にはならない

逮捕された関は、4人を殺害しても自分が死刑になるとは思っていなかったという。

それどころか「どうせ捕まるなら学生のころに好きだった子を狙っておけばよかった」と発言している。

論告求刑で「死刑が相当」という言葉を耳にするまでは、勉強をしつつ、資格でも取ろうかなどと考えて勉学に励んでいた。

 

しかし、関に下された判決は、死刑判決だった。

 

「ひとりう生き残った少女は2004年春、28歳で結婚した。大学卒業後、会社勤めを経て、かねてから交際していた男性と結ばれたのである。二人は現在、日本を遠く離れ、ヨーロッパで新婚生活を送っている(19歳 一家四人惨殺犯の告白 永瀬隼介)。」

 

裁判所は、一審も二審も死刑の判決を下した。

2001年12月3日、最高裁でも上告が棄却され、関の死刑が確定する。

 

2017年12月19日、関光彦の死刑が執行された。

 

 

 

出典

19歳 一家四人惨殺犯の告白  永瀬隼介

19歳 一家四人惨殺犯の告白/永瀬隼介

 

19歳の結末  一家4人惨殺事件  祝康成

【中古】19歳の結末 一家4人惨殺事件 /新潮社/祝康成 (単行本)