平成6年11月、横浜市鶴見区の港で黒いビニールに包まれた遺体が浮かんでいると通報があり、引き上げられた。
ビニール袋には、絞殺された女性と二人の子供の遺体が入っていた。
犯人として逮捕されたのは、被害者の夫であり父親である医師の野本岩男(29)だった。
エリート医師による犯行は、当時大きくマスコミに取り上げられた。
夫婦の出会い
野本岩男
野本岩男は、茨城県の農家で生まれ、学校の成績は優秀だったという。
筑波大学の医学部を卒業して医師として働いていた。
野本岩男と映子さんは、平成2年に医師や看護師が集うテニス会で出会った。
当時の野本は25歳の研修医で、映子さんは2歳年上の27歳、二人の子供(2歳・1歳)を育てながら看護助手をしていた。
当時の野本には交際しているOL女性がいたが、映子さんと知り合ってから2~3か月後には映子さんと同棲生活を開始している。
映子さんの出産・結婚
野本は映子さんと同棲生活を送るようになってからも、OL女生との交際が続いていたが、映子さんが妊娠したことでOL女性は身を引くことになり、映子さんは出産、二人は結婚する。
しかし、野本は逮捕後の取り調べで、入籍3日後には結婚したことを後悔したと供述している。
結婚した後も野本の女グセの悪さは治らず、1か月後には別の看護婦と交際を始める。
映子さんと入籍してから3か月のことだった。
さらに野本は複数の女性にも手を出していたが、映子さんが妊娠したことから、1人目の子供の面倒を見るようになる。
この半年間が唯一の夫婦らしい生活を送った期間であった。
転勤先の看護婦と関係を持つ
野本は別の病院に転勤になると、転勤の先々で看護婦に次々と手を出し、10人を超える女性と浮気をする。
同時に複数の看護婦と関係を持つことも珍しくなかった。
なかでも人妻の看護婦を気に入り、妻の映子さんにはプレゼントを贈ることはなかったが、人妻の看護婦には総額100万円を超すプレゼントをしたこともあった。
平成6年3月になると、別の看護婦に目をつけるようになる。
野本は供述で「彼女は何事にも控えめでした。それに比べて映子はしつこく、独占欲の強い女で、私は映子に愛情など持っていなかったのです」と答えている。
看護婦と関係を持った3週間後、野本は映子さんに看護婦との関係を詰め寄られ、看護婦に電話をかけさせられている。
電話を代わった映子さんが彼女に問い詰めると、看護婦は野本と結婚したいと告げる。
映子さんの怒りは野本に向けられ、慰謝料1億円と養育費月100万円の訴訟話が出る。
しかたなく野本は映子さんに良い父になることを誓ってその場を収めた。
しかし、看護婦と二人になると映子さんと別れて結婚すると約束している。
借金まみれの夫
当時、野本の年収は1000万円を超えていたが、野本は浪費癖があり、家庭に生活費を入れないこともたびたびだった。
預金通帳の残高が数百円という月もあったという。
やむなく映子さんは、幼い二人の子供を養うために昼間だけでなく、夜の仕事も始める。
ケンカの果てに
事件はさらに1か月後に起こった。
野本が職員旅行で買ってきた土産に映子さんが文句をつけたことがきっかけだった。
この日から二人の間には口論が続き、6日後に野本は映子さんの首を絞めて殺害、2人の子供も殺した。
2人の子供を殺害したのは、父親が殺人者なのを不憫に思ったからと語っている。
妻子を殺害した後も普段通りに出勤し、ストリップとソープランドに立ち寄っている。
帰宅後、3人の遺体を車のトランクに入れ、3人の遺体に重りを付けて横浜港から捨てた。
3人の遺体を遺棄した後、翌日には旅行会社に愛人と旅行に行くための予約を入れている。
殺害の翌々日に横浜港から映子さんの遺体があがり事件が発覚。子供二人の遺体も発見された。
捜査本部は早い段階で野本を怪しいとマークしていた。
11月25日、野本岩男の犯行と断定し、逮捕した。
不可解な判決
平成8年2月、横浜地裁は無期懲役の判決を言い渡す。
犯行は計画的なものではなく、夫婦生活の破綻は映子さんにも原因があるという理由から導かれたものだった。
平成9年2月、最高裁への上告を取り下げたため、野本岩男の無期懲役が確定した。