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上申書殺人事件の始まり

上申書殺人事件は、死刑判決を受けて上訴していた死刑囚の告発がきっかけになり、週刊新潮の記者を通して明るみになった事件。

 

元暴力団組長・後藤良次は、殺人と強盗致死の2件の事件(宇都宮監禁殺人事件)で死刑判決を受けて上告中だった。

 

後藤の手紙によれば、後藤は死刑判決を受けた2件の事件以外にも3件の殺人事件に関わっており、さらにこの3つの事件は摘発されておらず、警察すら把握していない完全犯罪だと書いてあった。

手紙によれば、3件の事件には別に首謀者がおり、その首謀者は今も警察に追われることなく、一般社会で普通に暮らしているという。

 

この真偽を確かめるべく、記者は殺人を犯した元暴力団組長の後藤良次と会うことにした。

 

当時の後藤は、死刑判決を受け上告中だったが、このタイミングで事件が明るみに出ると後藤にとって都合が悪かった。

新たに3つもの殺人事件に関与している事が明るみになると余計後藤の立場が悪くなる。

後藤にとって都合が悪いことをなぜ告発するのか。

 

後藤は、何故自分だけが死刑になって、首謀者が一般社会の中で今も平和に暮らしているのか許せないからだという。

また、可愛がっていた舎弟が自殺に追い込まれたこともきっかけになり覚悟を決めたという。

 

何故、首謀者は後藤の口封じに動かないのかについて問うと、後藤は自分が上告したからだと言う。

上告したということは後藤がまだ生に執着しているということだから、上告中は3つの殺人事件について告発することはないと首謀者も思うだろう。

少なくとも、上告が棄却されるまでは、首謀者は3件の事件について後藤が自供することはないとみており、後藤によれば首謀者が油断しているこのタイミングがベストだというのだ。

後藤は自分の命に代えても首謀者を許すわけにはいかないと語った。


後藤良次

首謀者の「先生」

後藤は、逮捕前まで3件の殺人事件の首謀者である三上静男を「先生」と言って慕っていた。

 

後藤から先生と呼ばれていた男は、茨城県で無免許で不動産取引をしている不動産ブローカーだった。

事件の10年ほど前の後藤は、暴力行為によって4年の懲役刑を受け、出所したばかりだった。

一からやり直すために不動産ブローカーを紹介されたことが先生と呼ばれる人物との出会いだった。

 

記者が後藤の証言に基づいて先生を調べてみると、先生に対する評判は後藤の証言とは全く異なるものだった。

先生は、資産家が相続で困ったときに相談にのってあげたり、リストラサラリーマンに対しては格安のアパートを紹介して面倒を見てあげる等、すこぶる面倒見がよく評判が良かった。

 

後藤による話と世間の評価は食い違い、最初のうちは半信半疑だったが、3つの事件について聞き出し、事件を調査していくにつれ、後藤の言っていることが真実であると確信するにいたる。

先生こと三上静男

告発された3つの事件

金銭トラブル

後藤の告発によれば、先生は当時、60歳位の男性と金銭トラブルでもめており、カッとなった先生はネクタイで男性を絞殺してしまった。

男性を絞殺した後、先生は後藤に連絡し、多額の報酬をちらつかせて死体の処理を依頼する。

後藤は、男性の遺体を車に乗せて茨城にある焼却場で処理したという。

 

不動産殺人

埼玉県で広大な土地を所有する身寄りがない老人に目をつけた先生は、後藤らと一緒に老人を山中に連れ出して生き埋めにして殺害する。

その後先生は、老人のダミーを使って不動産の所有権を自分に移転した後、他の業者へ転売した。

この取引で先生は、7,000万円の利益を得たという。

 

保険金殺人

ある一家の父親はインテリアショップを営んでいた(カーテン屋と呼ばれている)が、不況によって経営が悪化し、倒産寸前だった。

そのことで相談を受けた先生は、計画的保険殺人を実行し、自殺に見せかけて経営者を殺害する。

遺体は山中に遺棄した。

遺体を発見した警察は自殺として処理したという。

そして、遺族は1億円近く(8,000万ともいう)の莫大な保険金を受け取った。

この保険金額は、後藤の証言と一致していた。

検証・取材

新潮社の記者は、後藤の話を聞いて取材を開始する。

金銭トラブルによる殺人については、遺体が焼却処理されており証拠が残っておらず確認は無理だった。

 

次に記者は、不動産殺人で生き埋めにした老人について取材することにした。

後藤に面会した際、記者が場所について覚えてないか聞くと、後藤はインターを降りてから現場まで行く途中に、ハンバーガーショップ、牛丼屋、電気ショップがあったことを思い出した。

それらの情報を頼りに、犯行現場を探したがなかなか見つからない。

しばらくして他に手掛かりがないか記者が後藤を訪ねると、記者が手にしていた周辺地図をガラス越しに見た後藤が場所を思い出し、地図の一点を指し示した。

法務局へ行き、後藤が指した土地の登記事項証明書を閲覧してみると、殺した老人から先生へと所有権が移転しており、その後別の業者に転売されていることも分かった。

 

ところが、土地は1万8千㎡という膨大な広さであったため、埋められた遺体がどこにあるかまでは特定できなかった。

周辺の住民に聞き込みをしていくと、後藤が逮捕された後、ユンボで土地を掘り起こしていたという目撃者があり、遺体を掘り起こして別の場所に移した可能性があることが分かった。

 

 

 

さらに他の事件についても調べていると、先生こと三上静男を頼ったあるリストラされたサラリーマンが不審な死を遂げていたり、三上に相続を相談した資産家一家が家族そろって行方不明になっていたことも明らかになった。

 

 

 

2つの事件が立証できないとなると記者は3つ目の保険金殺人に賭けるしかなくなった。

 

茨城県内でインテリアショップを営んでいた家族は、父親、母親、娘、娘の夫、娘夫婦の子の5人家族だった。

父親が経営するインテリアショップは、経営の悪化によって借金が6,000万円あり、連日のように借金取りが取り立てに来ているような状況だった。

父は生命保険に加入していたが、保険料の支払いすら困難な状況だった。そこで、娘の夫が知り合いの不動産会社へ相談してみると、そこの社長から先生を紹介してもらった。

 

借金の相談のために父親が先生を訪ねてみると、仕事を紹介され住み込みで働くことになった。

先生の他に後藤や後藤が組長をしている組員も加わり連日宴が行われるようになる。

 

父親は毎日、先生や後藤からお酒を無理やり飲まされ、最期は高濃度アルコールによる呼吸不全で死亡する。

父親が死んだ後は、遺体を風呂場に運び冷水につけて死亡時刻を遅らせた。

後日、遺体を山中に運び自殺に見せかけて遺棄した。

しばらくして1億円近くの保険金を遺族は受け取った。

 

この殺害計画は、家族同意のうえの犯行で、家族が父親をいけにえにしたものだった。

半年間にわたって調べ上げた記事は、雑誌で発表することが決まる。

この記事を警察に提出すると、警察幹部も重い腰を上げざるを得なくなり、早急に捜査に乗り出すことを誓った。

先生の逮捕

結局、保険金殺人のみの立件となった。

記者は、その後も取材を続けるも、三上が逮捕されるまでに、インテリアショップ家族に先生を紹介した不動産会社社長が死亡してしまった。

不動産会社社長は、いくつかの事件に関与していると思われる重要参考人であった。

 

記者が取材した記事が警察を動かし、先生は逮捕された。

逮捕後、先生は容疑を否認したが、インテリアショップ家族は容疑を認めた。

家族が証言した内容は、後藤の証言とことごとく一致していた。

判決

先生と呼ばれた「三上静男」に無期懲役の判決が下った。

後藤良次には懲役20年。

インテリアショップ経営の家族は、母親が懲役13年、娘が懲役13年、娘の夫が懲役15年の判決だった。

 

 

 

参考

「凶悪 ある死刑囚の告発」 「新潮45」編集部

インターネット、ニュース、アンビリーバボー事件の真実2時間SP