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のぞき趣味を持つ変態に対して「出歯亀」というが、そのきっかけとなった事件が明治41年(1908)に起きた「出歯亀事件」である。

出歯亀とは、事件の犯人・池田亀太郎のあだ名である。

のぞきが趣味の亀太郎

植木職人の池田亀太郎(35)の趣味は、女湯をのぞくことだった。

女湯をのぞくだけでなく、女性に対して乱暴を働くことも一度や二度ではなかった。

 

亀太郎は、見た目も良いとは言えず、出っ歯で頬のこけた眼ばかりギラギラした中年男だった。

 

亀太郎の家族は、69歳の母と23歳の若妻、そして2歳の長女で、東大久保の長屋で4人暮らしをしていた。

逮捕当時、亀太郎は家賃が支払えず滞っていたという。

また、周りからの評判も、怠け者、職人としてはたいしたことない等と散々な評価だった。

出歯亀事件概要

明治41年(1908)3月22日、東京府多摩郡大久保村の住人、下谷電話交換局長・幸田恭の妻ゑん子(27)は、近所の湯屋「藤の湯」へ夜の8時頃に入浴に出かけたが、夜の10時を過ぎても帰宅しなかった。

不審に思った家族が捜索願を出し、近隣住人と一緒になって付近を探したところ、富士湯の近くの空き地で濡れ手ぬぐいを口に押し込まれて殺害されているゑん子を発見した。

翌23日は、幸田夫妻の結婚一周年記念にあたり、被害者のゑん子は妊娠5か月であった。

 

この事件は、当初から新聞で取り上げるなど世間から注目された。

 

新宿警察署は直ちに犯人の捜査に乗り出し、嫌疑者として延べ20人余りを調べた。

この中には後の出歯亀こと池田亀太郎もいた。

亀太郎の過去の犯罪歴に目を付けた警察は、3月31日に亀太郎を別件容疑で逮捕した。

 

当初はゑん子殺害については口を閉ざして話さなかった亀太郎だったが、4月4日になってついにゑん子殺害を自供する。

 

亀太郎の自供によれば、犯行当日は午後5時30分に仕事を終え、帰りに居酒屋に寄ってほろ酔い気分で自宅に帰ろうとしたところ、途中で持病ののぞき趣味が出てしまったという。

 

亀太郎が藤の湯に着いて女湯をのぞいて見ると、ちょうど女性が着替えている最中だった。

着替え中のその女性こそがゑん子であった。

 

亀太郎は、ゑん子が女湯から出てくるのを物陰に身を潜ませて待ち、ゑん子が出てきたところを後ろから襲い、近くの空き地に引きずり込んだ。

襲われたゑん子が悲鳴を上げると、亀太郎は慌ててゑん子が持っていた濡れ手ぬぐいを奪い取って口に押し込んだ。

ゑん子が大人しくなると、亀太郎はゑん子を強姦し、その場から逃げていった。

 

亀太郎は、翌日も翌々日も何食わぬ顔して仕事に出たが、25日になってゑん子が死んで発見されたことを知った。

まさかあの時の女性が死んだとは思っていなかった亀太郎は、自分のした行為に苦しみ自首も考えたが、家族のことを思うと出来なかったという。

犯行を否定する亀太郎

逮捕された亀太郎は、犯行を自供したものの、裁判になると一転して犯行を否認した。

理由を問われると、警察から拷問を受けたから自供したと言い出した。

のぞきについては犯行を認めたが、ゑん子殺害は認めることはなかった。

 

結局、自供以外に証拠がなく、亀太郎が犯行を行ったという確証がなかった。

判決

結局、最初の自白以外に証拠は見つからなかったが、東京地裁は亀太郎に対し、婦女暴行致死罪で無期懲役刑を言い渡した。

 

亀太郎は控訴したが、結果は同じで控訴は棄却された。

 

亀太郎は上告するが、大審院は上告を棄却。亀太郎の無期懲役刑が確定した。

今も残る出歯亀

この事件は、最初から新聞で取り上げられたことと、亀太郎の身体的特徴が目立っていたことから、「出歯亀」のあだ名が有名になった。

この事件以来、のぞき趣味やのぞき男を「出歯亀」と呼ぶようになった。

 

こうして池田亀太郎のあだ名は後世まで残ることになった。