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「東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮﨑勉連続幼女殺人事件)」は、1988年から1989年にかけて、埼玉県と東京都で4人の女児が誘拐されて殺害された事件。

1989年7月、東京都西多摩郡(あきる野市)に住む印刷業手伝いの宮﨑勤(当時26歳)容疑者を逮捕した。

 

宮﨑は、幼女の死体の陰部に手を入れ、写真を撮ったり、ビデオで撮影をしていた。

宮﨑は、「今田勇子」という偽名を使って新聞社や遺族宅に犯行声明や遺品を送り付けたりもした。

 

この事件は、「オタク」「ロリコン」といった存在を世間に広めることになった。

 

宮﨑勤

事件概要

宮崎勤事件の最初の犠牲者は、埼玉県入間市の設備会社社長の二女で幼稚園に通う4歳の真理ちゃんだった。

1988年8月22日、真理ちゃんは、「友達の家に遊びに行く」と言ったまま行方不明となる。

 

真理ちゃんが行方不明になってから1か月半が経過した頃、飯能市に住む小学一年生の正美ちゃん(7歳)が、12月9日には川越市に住む幼稚園児の絵梨香ちゃん(4歳)が相次いで失踪した。

12月15日、埼玉県名栗村の横瀬川河川敷近くにある、県立名栗少年自然の家から南東約50mの林の中で、絵梨香ちゃんが全裸遺体となって発見される。

 

1989年2月6日、真理ちゃん宅の玄関前に不審なダンボール箱が置かれる。

ダンボール箱には、人骨片や文字を切り貼りして拡大コピーした紙が入っていた。

鑑定により、人骨片は真理ちゃんのものと断定された。

 

2月10日、朝日新聞あてに「犯行声明」が届く。

「遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。この、真理ちゃんの一件に関しては、最初から最後まで私一人がしたことです。私が、ここに、こうしてし真実を述べるのには、理由があるからです。まず、あの段ボールに入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。その証かしを立てます。まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう。去る8月22日、私は、私には、どうしても手をのばしても届くことのない子供を、今日一日は自分のものにしたい思いにかられ、入間ビレッジの8号棟裏に車を止め、あのプールでは、親に送り向かえをされない、一人で行き帰りをする子供達の方が多いことを、日頃から知っている私は、そのプールの出口付近に一人で立っていました。すると、真理ちゃんと、兄弟の・・・・・・」

「・・・・・・先日、テレビを見て、母親が警察から誤報を聞き『これでまた待つ希望が持てました。』と話しているのを見た時に、これは、いきちんとすませてあげなければいけない。このままでは、本当に永久に、真理ちゃんに気付かずに、家族は一生を終わってしまうと思い、これだけはと、急いで声明文を送った次第です。

あの骨は本当に真理ちゃんなのですよ。」

 

3月11日、朝日新聞あてに「告白文」が届く。

「御葬式を挙げて下さるとのことで、本当に有難うございました。御陰様で、私の子、共々、やっとお墓に葬ってやれることができました。子宮等の事情で、子宝に恵まれない・・・・・・」

告白文は遺族の感情を逆なでするような内容文だった。

 

6月6日、午後6時、東京都江東区の公園で保育園児の綾子ちゃん(5歳)を誘拐。

綾子ちゃんに手の障害をからかわれたため、車中で首を絞めて殺害した。

家に帰って全裸にしていたずらした後、ビデオとカメラで遺体を撮影した。

遺体を切断し、飯能市の宮沢湖霊園のトイレ脇に胴体を、自宅近くの山に頭部を遺棄した。

 

6月11日、宮沢湖霊園で、胴体が見つかった。

 

7月23日の午後4時過ぎ、八王子市で小学一年生の女子児童(6歳)を全裸にして写真を撮っていたところ、女子児童の父親に見つかり、通報で駆けつけた警察官に強制わいせつの現行犯で逮捕された。

 

8月7日、宮﨑をわいせつ誘拐、強制わいせつ罪で起訴し、2日後に綾子ちゃん殺害を自供。

8月10日に宮﨑の自供通り、奥多摩山中で綾子ちゃんの頭部が発見された。

宮﨑勤の生い立ち

宮﨑勤は、1962年8月21日に東京都青梅市で生まれた。

青梅市は、都心から電車で1時間半から2時間の場所である。

 

宮﨑の家は裕福な家庭で、一族からは町会議員を出し、父親もPTAや消防団の役職に就くなど、地元では名士として知られていた。

 

しかし、宮﨑は手のひらを上に向けられないという先天性の障害を持っていた。

この障害は、宮﨑の人格形成に重くのしかかっていった。

 

手の障害は、宮﨑の性格を内向的にし、異性とうまく接することができなかった。

社会人になってからも宮﨑は自分の部屋にこもり、ゲームやアニメを観て過ごしていた。

女性に対するコンプレックスから、やがて幼女に思いが向けられていく。

 

宮﨑は、可愛がってくれた祖父を尊敬しており、遺灰を食べたことを語っている。

反対に両親に対しては呼び捨てで、手の障害は両親のせいだと語っていた。

オタクとロリコン

逮捕後に宮﨑の自室が写真付きで公開されると、「オタク」「ロリコン」の異様なイメージが世間に広まった。

マスコミの中には、オタクを犯罪者予備軍のように扱うこともあったという。

 

宮﨑の自室には、約6,000本のビデオテープとかなりの数のマンガがあった。

アニメ、アイドル、児童ポルノのビデオに紛れて、殺害した幼女の性器をいたずらしているシーンが撮影されているビデオもあった。

死刑判決と執行

1997年4月14日、東京地裁は宮﨑勤に死刑判決を下した。弁護側は即日控訴した。

 

2001年6月23日、東京高裁は控訴を棄却。弁護側は上告した。

 

2006年1月、最高裁は上告を棄却。

 

2008年6月17日、宮﨑の死刑が執行された。

最期の言葉は「あのビデオまだ途中なのに」だったとか。

 

 

 

 

参考文献

「宮﨑勉事件」一橋文哉著