鬼熊事件
鬼熊事件は、1926年(大正15)に千葉県の香取郡久賀村(現・多古町)で起きた事件。
犯人は、この村の住人の岩淵熊次郎という男だった。
熊次郎は、一晩で2件の殺人と4件の傷害事件を犯した後、山中へ逃亡した。
逃亡の際に、山で出くわした警察官も殺害している。
おかしなことに、熊次郎は凶悪犯にもかかわらず、村人たちは逃亡中の熊次郎に食糧を与えたり、偽りの情報を流して捜査をかく乱させるなど、熊次郎の逃亡を助けている。
熊次郎の生い立ち
熊次郎は、千葉県香取郡久賀村の農家の次男として生を受け、最初は農業を仕事にしていたが、やがて荷馬車引きという運搬の仕事に転職した。
荷馬車引きの仕事では、久賀村の材木を町に運び、帰りに肥料を村に運ぶということをしていた。
熊次郎は、義理人情に篤く困っている村人がいれば助けいたため、村人たちに「熊さん」と呼ばれて親しまれたという。
やがて熊次郎は、およねという女性と結婚し、5人の子供にも恵まれた。
しかし、熊次郎は依然として女癖が悪く、女性関係でたびたびトラブルを起こしていた。
女癖の悪さは有名だった
義理人情の篤さは、女性関係にも及んでいた。
結婚した熊次郎だったが、松野屋という小料理屋に借金の方として売られた「おはな」という女性の話を聞き、同情しただけでなく惚れてしまった。
その後、おはなは岩井という男が経営する店に移ることになる。
熊次郎は、おはなに会うために岩井の店を訪ねてみるが、岩井は理由を付けておはなに会わせようとしない、結局、熊次郎は追い返されてしまった。
次に熊次郎が惚れたのが小料理店を営む上州屋に売られてきた「おけい」であった。
おけいは、男をたぶらかすという理由で村での評判は悪かった。
熊次郎は、おけいの相談にのっているうちに惚れてしまい二人は愛人関係になる。
やがて熊次郎は、おけいが情夫の菅沢寅松と密通している現場を目撃する。
現場を目撃して激高したた熊次郎は、おけいに暴力をふるったことで3か月の間収監される。
二件の殺人と四件の傷害事件
熊次郎の収監が3か月で済んだのは、以前、世話になった豪農の尽力によるものだった。
豪農を訪ねて礼を述べた後、おけいにも謝ろうと思い、おけいの家を訪ねる。
その際、寅松の父親が息子と一緒になるようにおけいに話していたことを知る。
寅松の父親が熊次郎と別れさせて、息子の寅松と一緒になるようにおけいに勧めていたのだ。
事実を知って怒った熊次郎は、その場でおけいを殺し、寅松の父親の家に向かい石油をかけて火を放った。
怒りの収まらない熊次郎は、次に寅松の父親と組んで熊次郎を逮捕した巡査長を襲おうと駐在所に向かう。
熊次郎が訪ねてみると駐在所は留守だったため、置いてあったサーベルを盗んで駐在所をあとにした。
次の恨みを果たすため、熊次郎は「おはな」に会わせてくれかった岩井の家に向かう。
岩井の家へ行き、岩井を殺害した後、山中へと逃げ込んだ。
後日、熊次郎は、山から下りたところで警察官と出くわし、この警官をサーベルで殺害している。
この警官を殺害したことで、熊次郎は合計3人を殺害したことになる。
熊次郎の最期
サーベルで景観を殺害した後、再び山中へと逃げた。
警察は、消防団や青年団も動員して熊次郎の捜索をするが、1か月経っても逮捕できなかった。
当時の警察は、権力が強大で意味なく市民に威張り散らしていたため、評判が悪かった。
村人たちは、捜査をかく乱するために偽りの情報を流したり、熊次郎に食糧を与えたりして逃走を助けるほどだった。
やがて逃げ切れないと悟った熊次郎は、新聞記者に事件についてインタビューをさせ、「恨みは果たした」と言い残して自殺して果てた。