福岡・飯塚事件は、福岡県の飯塚市に住む久間三千年を犯人とした事件である。
被害者は、飯塚市の小学校に通う2人の女の子。
容疑者の久間は、死刑判決を受け、既に死刑が執行されている。
ただ、この飯塚事件には、今も根強くえん罪説が残っている。
というのは、飯塚事件の犯人逮捕の決め手となったDNA鑑定の方法及びメンバーが、えん罪の足利事件とほとんど同じだったからである。
飯塚事件概要
1992年2月21日、福岡県の八丁峠と呼ばれる国道322号線の山中で2人の女児の遺体が見つかった。
ほどなくして警察から疑われたのが、飯塚市に住む当時無職の久間三千年(当時54)だった。
福岡県警は、有力容疑者として久間を徹底的にマークし、重要参考人として任意に出頭させ、うそ発見機にかけたり、DNA鑑定にかけるなどした。
うそ発見機では県警が望む結果が得られなかったが、DNA鑑定では「ほぼ一致」という結果を得た。
しかし、当時のDNA鑑定は、導入したばかりで信用性が低かったため、逮捕には至らなかった。
その後も、久間は犯行を否認し続けるが、DNA鑑定が決め手となって警察は久間を徹底的にマークする。
福岡県警は、久間が犯人であると決めつけて久間本人の写真を持って聞き込みをしたり、久間家の出したごみを持ち去ろうとして久間とたびたび衝突している。
その後も福岡県警は犯人逮捕の決め手がなく、月日ばかりが流れていった。
しかし、事件から2年半が過ぎた頃、事件は急展開する。
久間が使用していたワゴン車から新たな証拠が発見されたからだ。
新たに車内から検出された血痕と尿痕を調べてみると、被害者の一人の血液型と一致した、さらに女児の衣服に付着していた繊維片が久間のワゴン車のシートの繊維と一致するとの鑑定結果が出た。
事件から2年半も過ぎた頃に急にそんな証拠が見つかるというのもおかしな話だった。
結局、福岡県警は事件から2年半が経過した1994年9月23日、新たな証拠を発見したとして久間の逮捕に踏み切った。
福岡県飯塚市女児行方不明事件
福岡県警が久間に目を付けるようになったのには理由があった。
今回の事件の約3年前にも、7歳の女児が行方不明となる事件が久間の近辺で起きていたからである。
女児が行方不明になる直前に久間家で遊んでいたという目撃情報があり、久間自身もこれを認めていた。
しかし、犯行については久間は否定している。
この事件は、現在も未解決である。
決定的な証拠がない福岡県警
福岡県警は、決定的な証拠がないまま久間の逮捕に踏み切ってしまった。
証拠となったものは、決定的な証拠とはいえるものではなかったため、新聞やニュースに「どれも状況証拠の域を出ない」「自供は欠かせない」といった文言が並んだ。
しかし、久間は逮捕後も犯行を否認し続け、福岡県警は肝心の自供を引き出すことができなかった。
最初の逮捕から20日を経過して、福岡県警は殺人容疑で再逮捕するが、久間の頑強な犯行否認の姿勢は変わらなかった。
裁判
久間の犯行否認の姿勢は、裁判が始まってからも変わらず、被害者遺族の前でも絶対にしていないと発言している。
久間が犯行を否定し続けているにもかかわらず、1999年9月29日の福岡地裁が下したのは、「死刑」という検察側の主張を全面的に認める判決だった。
裁判長は状況証拠しかないことを認めたが、マツダのワゴン車を見たという目撃情報、新しく検出された車のシートの繊維片、血痕と尿痕が被害者の一人と一致したことを取り上げての判決だった。
久間は、判決を不服として即控訴した。
しかし、福岡高裁は、控訴を棄却する。
久間は即上告したが、最高裁での結果も「死刑判決」だった。
久間は、福岡県警から容疑をかけられてから最後まで無実を訴えたが、意見を受け入れられることはなかった。
結局、久間は最期まで犯行を認めないまま、2008年10月28日に死刑が執行された。
根強く残るえん罪説
久間逮捕の決め手となったDNA鑑定であるが、鑑定方法及び鑑定メンバーがほぼ「足利事件」と同じだったといわれている。
足利事件は、DNA鑑定がえん罪の原因を作ったといわれる事件である。
当時のDNA鑑定は、技術が著しく低く、信用に値するものではなかったといわれている。
久間に対するDNA鑑定は、足利事件よりも精度が悪いという意見もある。
最初から久間を犯人とするための証拠集めだったともいわれている。
足利事件のDNA鑑定の信用が壊れ、2008年12月に東京高裁が再鑑定を認めた。
本人が犯行を否定し続けているのにもかかわらず、判決から2年で死刑執行されるのは異例の早さだった。
再鑑定によって鑑定結果が覆る可能性が高いことを見越し、久間の死刑執行を早めた可能性は否定できない。