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平成10年(1998年)7月4日に埼玉県宮代町でマッサージ業を営む福田次郎さん(74)とその妻の福田ツネさん(67)が絞殺死体となって発見された。

事件から4日後、富士銀行春日部支店に勤務する岡藤輝光(31)が逮捕された。

岡藤と福田さん夫妻とは、銀行員と顧客という関係だった。

犯行

逮捕された岡藤の供述によれば、犯行日時は事件が発覚した2日前の7月2日の午前11時30分頃だったという。

殺害された福田さん夫妻は、夫の次郎さんが目が不自由(全盲)で、妻のツネさんも身体に障害を抱えていた。

 

岡藤は、まず、1階のリビングで妻のツネさんに背後から襲い掛かり、首を絞めて殺害した。

次に1人では逃げられない隣の居間にいた次郎さんを、ツネさんと同じように首を締めあげて殺害した。

 

2日後の7月4日に夫婦の遺体が発見され、さらに4日後の7月8日に犯人の岡藤が逮捕された。

銀行員と顧客

次郎さんは、若い頃から視力が弱く、将来失明すると言われていたため、失明しても生活できるようにマッサージ師として生きていくことを選んだ。

障害を抱えながらも働き者の夫婦は、戦後を生き抜き、バブル景気の恩恵もあって自宅を売却してそれなりの金銭を手にした。

 

自宅を売って宮代町に移り住んで以来、富士銀行と付き合うようになる。

平成8年8月に前任者から担当を引き継ぎ、岡藤が福田さんの担当になった。

動機は浮き貸し

岡藤が福田さん老夫婦を殺害するきっかけとなったのは、平成9年に春日部市内にある運送業者から泣きつかれた融資の件だった。

当時は、バブルが崩壊してどこの中小企業も経営が厳しい状況だった。

運送業者は融資の基準を満たしておらず、行内でも貸し出しには消極的になっていた。

 

岡藤は客の預金を正式な手続きを経ずに他の顧客に貸し出す「浮き貸し」を始める。

再三運送業者に泣きつかれた岡藤は、平成10年1月、福田夫妻の定期預金を解約させ、2500万円を運送業者に貸し出している。

しかし、2500万円の返済のめどは立たず、このままだと福田夫妻に対する資金の返済が滞ることになってしまい、銀行を解雇される可能性がでてきた。

 

福田夫妻から返済を迫られた岡藤は、7月2日に持参すると書いた名刺を渡したが、返済のあてはなかった。

さらに返済を約束した7月2日の前日には異動の内示を受けており、いよいよ進退が窮まってしまった。

追い詰められた岡藤は、発覚を恐れて名刺を回収するために夫婦を殺害した。

岡藤は福田夫妻を殺害後、名刺を持って逃走した。

 

遺体発見から4日後に岡藤が犯行を自供したため逮捕した。

 

事件発覚後、富士銀行は、春日部支店店長の更迭、橋本会長と山本頭取の30%減俸、支店管掌副頭取の専務取締役降格を発表した。

犯人の生い立ち

岡藤は、福岡で3人兄弟の長男として生まれた。

父親は中卒ながらトラックの運転手をして岡藤を大学まで通わせた。

岡藤は、公判で「大学を出てスポーツもできる自分は、両親の誇りだったから裏切りたくなかった」と語っている。

 

進学校の県立筑紫高校でラブビー部に在籍して2年の時には県大会で優勝している。

大学は、ラグビー枠で福岡大学に進学し、3年からレギューラーになった。同級生によると不器用ながらも仲間思いの人情家で評判は良かったという。

 

犯行当時の岡藤は、妻と二人の男の子と家族4人、銀行の寮に住んでいた。

岡藤が4年の時、ラグビー部のマネージャーだったのが妻だった。

 

富士銀行では、岡藤を「リーダーシップを取るタイプの人間ではないが、お客様からクレームが上がるような問題となることもなかった。」と評している。

判決

平成11年9月29日、検察側は死刑を求刑したが、浦和地裁は無期懲役の判決を下し、検察側はこれを不服として控訴した。

平成12年12月20日、東京高裁も一審の無期懲役を支持して控訴を棄却した。

平成13年1月5日、検察側が上告しなかったため、岡藤の無期懲役刑が確定した。