平成8年(1996)に4人を殺害し、遺棄したとして広島のタクシー運転手・日高広明(34)が逮捕された。
生い立ち
4人を殺害したとして逮捕された日高広明は、昭和37年(1962年)に農家の三人兄弟の末っ子として宮崎市で生まれた。
日高は、成績優秀でスポーツ万能、高校は地元で一番の進学校に通い、友人も多い優等生として過ごした。また、将来は教師になるのを志望していた。
しかし、大学受験で失敗し、受かった私立大学も授業にはほとんど出席せずに、挫折したまま大学を中退した。
大学中退後は、宮崎に戻ったが、バイクの酒気帯び運転で逮捕される。さらに昭和61年1月には強盗で逮捕されている。
出所後は、叔父を頼って広島に行き、平成元年(1989年)4月にタクシー運転手になった。
重ねる借金
タクシー運転手として働いてからも酒と女は止められず、給料の大半は酒と女で消えていき、やがてサラ金からも金を借りた。
平成4年、29歳で結婚し、翌年には長女が生まれた。
幸せに見えた生活だったが、その後、妻が精神を病み、日高は気を紛らわすために酒とギャンブルに溺れていった。
1人目の被害者
精神を病んだ妻は回復する様子がなく、借金をして日高は酒と女に走った。
最初に日高の犠牲となったのは、16歳の少女だった。
この頃には、350万円の借金があり、毎月の返済は15万円にも及んでいた。
平成8年(1996)4月、援助交際のメッカとして知られる新天地公園に行き、少女に声をかけると、少女は誘われるままタクシーに乗った。
日高は少女とともにラブホテルに入り、少女に2万円を渡す。
しかし、少女の身の上話と涙に騙されてセックスはお預けとなる。
いい人を演じた日高は、少女を送るふりをして途中で人気のない道で車を停車させた。
少女をネクタイで絞殺し、少女の遺体を田んぼわきの水路に棄てた。
事件から3カ月経ったが、女子高生との接点がなかったため、警察は日高を探し出すことができない。
日高はこの殺害方法を気に入った。
2人目の被害者
2人目の被害者は、23歳のスナックに勤める女性だった。
1996年8月13日、日高は再び新天地公園に行き、女性に買春代3万円を渡してホテルに入った。
ホテルを出た後、山道へ進み途中でタクシーを停めて、女の背後からネクタイで首を絞めて殺した。
日高は殺害後、女の所持金5万2千円を奪い、死体は山林に棄てた。
3人目の被害者
1996年9月7日、3人目の被害者は、以前から顔見知りの45歳のホステスだった。
日高は、ホステスに遊ぼうと声をかけ、買春代の3万円を渡す。
山道に行き、車内でセックスを始めると、女の後ろからベルトを首に回して絞殺した。
そして、女の財布から8万2千円を奪った。
もう、この頃には殺人が快楽となっていたという。
4人目の被害者
3人目の被害者ホステスを殺害してから1週間後、日高は顔見知りの女性に声をかける。
相手は30代の女性で、日高とは馴染みの客だった。
日高は女性を乗せ、人気の無い道でタクシーを停め、いつものように首を絞めるためのネクタイを解く。
ところが、女性に警戒されて逃げられた。
慌てた日高は女性を追いかけてナイフで脅し、後部座席に連れ込んで女性を殴って気絶させた。
気絶した後、ネクタイで首を絞めて殺した。
そして、そこから10分ほど離れた山の中に女性の死体を投げ棄てた。
5時間後に犬の散歩をしていた近所の住人が発見し、警察に通報した。
前の夜に、被害者の女性と日高が一緒にいるところを目撃されていたため、広島県警は日高の犯行であると断定する。
犯行から3日後に日高は逮捕された。
死刑判決
日高は逮捕後に「殺人を犯すことで、自分は特別の人間と思うようになった。人を殺すこと自体が刺激になり、殺人に快楽を覚えるようになった。」と語っている。
平成12年2月9日、広島地裁は日高に対して死刑判決を言い渡した。
日高は、控訴しなかったため、死刑が確定した。
平成18年(2006年)12月25日、日高の死刑が執行された。