バー・メッカ殺人事件は、東京新橋にあるバー・メッカで証券会社に勤める39歳の男性が殺害された事件。
1953年の7月27日午後9時頃、新橋にあるバーのメッカで、血液らしきものが天井から落ちてきてたのを従業員が発見する。
天井裏からは、証券ブローカーの遺体が見つかった。
現場の状況と目撃者の証言から容疑者として、正田昭(24)、近藤清(19)、相川貞次郎の3人の若者が浮上した。
当時の日本は終戦後で、終戦後に青春時代を迎えた若者は無軌道で退廃的な風潮があった。
こういった無軌道で退廃的な若者は、アプレゲール(戦後派)と呼ばれた。
バー・メッカ殺人事件は、アプレゲールの典型的犯罪といわれた事件である。
天井から落ちる赤い液体で事件発覚
1953年7月27日午後9時頃、新橋のバー・メッカで天井から赤い液体がポタポタと落ちるのを従業員が発見する。
天井裏を調べてみると、証券会社に勤める39歳の男性が毛布にくるまれて死亡していた。
通報を受けて警察は、当日に無断欠勤した19歳の従業員が事情を知っていないか捜索した。
間もなく従業員は見つかり自首をしてきた。ほどなくして従業員の遊び仲間も逮捕された。
従業員の供述から、主犯を慶応大学卒の正田昭(24)と断定し、全国に指名手配した。
正田は、女遊びやダンスに興じるなどしていたことから、マスコミからアプレゲール犯罪として取り上げられた。
事件の主犯である正田は、被害者から30万円を奪い、偽名を使って逃走していた。
事件から78日が経過した頃、偽名を使って潜伏していた京都のアパートで正田は逮捕された。
アプレゲール青年の犯行動機
正田は、慶応大卒のエリートだった。
生後すぐに父親を病気で失い、母親によって女手一つで育てられた。
大阪府立住吉中学在学し、敗戦を迎えた。
その後、慶応大学経済学部へと進学した。
正田は、エリートのうえ美男だったため、事件は世間の注目を集めた。
正田は、逮捕され、当初は英語交じりに無罪を主張していたが、やがて犯行を自供する。
正田の動機は金銭目的であった。
恋人の母親から預かった有価証券を紛失してしまい、その金を補填しようと思っての犯行だった。
殺害されたのは、顔なじみの証券ブローカーだったという。
サハラの水
当初、正田は無実を主張していた。
一審判決が出るころには、獄中でソーヴール・カンドウ神父と出会いキリスト教カトリック派に改宗する。
正田は、キリスト教に改宗した後、自分の犯した罪と向き合うようになる。
この頃に出会ったのが、のちに加賀乙彦として小説・宣告を発表する精神科医の小木氏であった。
宣告は、死刑囚を題材にした小説。
やがて正田は、「サハラの水」という小説を執筆して発表する。
「サハラの水」は、雑誌「群像」の新人賞の最終選考にまで残ったほどの高い評価を受けた。
福音書の文語訳に取り組む
その後、正田は神父の勧めで福音書の文語訳に取り組むようになる。
かつて無軌道で退廃的な生活をしていたアプレゲール青年は、神に従順な信仰者となっていた。
死刑執行の前日、正田は加賀乙彦氏へ手紙を出してお礼を述べている。
裁判と死刑執行
1956年12月、第一審で正田に下された判決は死刑であった。
共犯の19歳の従業員は懲役10年、従業員の遊び仲間は懲役5年の判決だった。
19歳の従業員とその遊び仲間は判決を受け入れたが、正田は控訴する。
1960年12月、控訴審で棄却されたため、上告した。
1963年1月に最高裁で上告が棄却され死刑が確定する。
1969年12月19日、アプレゲール青年と呼ばれた正田の死刑が執行され、40歳の人生は幕を閉じた。