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母親バラバラ殺人

昭和35年(1960)に大阪市住吉区で孝行息子と評判の息子が母親を殺してバラバラにした事件。

生い立ち

奥野清は、大正14年(1925)に風呂屋と雑貨屋を営む家庭に生まれる。奥野の性格は、意志が弱く、内向的な性格で、母親には従順であった。

大阪府立城東職工工学校を中退後、漬物やに店員として勤めるがほどなくしてクビになり、その後、強盗殺人の共犯として大阪刑務所に服役し、32年に仮釈放された。実家に帰ると母親が漬物やを始めていた。漬物屋の商売は、上手くいかず、借金ばかり増えていった。奥野に指示してお金を借りに行かせた。

借金だけが増えていく

その後、奥野清は、鉄工所に勤めることになり、鉄工所の仕事が終わってから母親の仕事を手伝った。鉄工所も含め奥野の稼ぎは全て母親に渡した。

昭和32年に奥野は結婚し、最初は真面目に働くがだんだんと働くなり、借金は倍以上になっていた。

借金の督促に困った奥野は、母親に漬物屋の商売をやめることを勧めるが、そのうち何とかなると言って聞き入れられなかった。

やがて奥野は、母親を殺して家を売り、家を売ったお金を借金返済に充てようと画策する。昭和35年6月8日、ついに母親を殺害。母親を押し入れに隠し、妻を実家に帰らせる。

6月9日に行李(竹や柳、籐などを編んでつくられた入れ物)に遺体を入れる際、足がはみ出てしまうため、のこぎりで切断した。

判決

昭和39年2月7日、死刑確定。

昭和42年に死刑が執行された。

最後の言葉は、「お母ちゃん、今いくて、まっとれや。」

 

参考文献 死刑囚の最後の瞬間 大塚公子