大阪姉妹殺人事件
大阪姉妹殺人事件は、大阪市浪速区のマンションで2005年11月17日に、飲食店店員の姉妹が刺殺された事件。
犯人の名前は山地悠紀夫。パチンコの不正で稼ぐゴト師で年齢は22歳。
山地を含めたゴト師は、一週間前に大阪に到着したばかりだった。
大阪に到着した一週間後、山地はゴト師のアジトがあったマンションの別の階に住んでる27歳と19歳の姉妹を刺して強姦した後、めった刺しにして殺害した。
山地悠紀夫
「山口母親殺害事件」16歳の時に母親を殺す
山地悠紀夫は、16歳の時にも殺人を犯して少年院に入っていた。
実の母親を金属バットで殴り殺している。
逮捕後、母を殺害したことで性的な興奮を覚えたと供述している。
後日、この興奮が大阪で姉妹を殺した動機になったとも話している。
山地悠紀夫は、山口市で酒を飲んでは暴れる父と父を悪く言う母親との間に生まれた。
父は、山地が小学生の時に酒浸りになり、肝臓を壊して44歳で亡くなっている。
母子家庭になった山地は、次第に小学校で浮いた行動を起こすようになる。
やがて同級生からいじめられるようになり、中学校に入るとひきこもりが始まる。
高校に進学できなかった山地は、中学校を卒業した後、新聞配達を始めたが、母子家庭の山地家は生活が苦しく、借金まみれだった。
山地が稼いだお金は母親が借金返済に使っていた。
ある日のこと、山地と母は、お金のことや彼女のことで喧嘩になり、カーッとなった山地は、近くにあったバットで母を何度も殴った。
その日は、新聞配達の仕事に行ったが、帰ったときには母親はもう動かなかった。
やがて山地は警察に電話し、自分が母親を殺害したことを伝えた。
アスペルガー症候群
山地は、少年院で社会性や人との交流、想像力に障害があるとされる「広汎性発達障害」の傾向ありと診断された。
発達障害のうち、対人関係がうまく築けなかったり、コミュニケーションがうまく取れなかったり、興味・行動に強い偏りやこだわりがあると、広汎性発達障害の傾向があると見られることが多い。
大阪姉妹殺人の裁判でもアスペルガー症候群かが問われる場面があり、過去にはアスペルガー症候群と診断されて責任能力が弱いと判断されたこともあった。
ただ、最近はアスペルガー症候群でも責任能力を認める判決が多くなっており、刑事責任能力の認定はそう変わらないとされている。
人を殺すのも物を壊すのも同じ
2005年11月17日午前2時。姉がマンションの鍵を開けて部屋に入るのを見て、山地は襲い掛かった。
姉に抵抗されると、持っていたナイフで何度も刺しながら乱暴した。
その後、妹が部屋に入ってきたので、口をつかみ、胸を刺した。
抵抗したので山地がそれを押さえると、苦しむ様を見て山地は性的興奮を覚えたという。
妹を乱暴した後、手を洗ってベランダでタバコを吸うと、部屋に戻って姉妹の心臓にナイフでとどめを刺した。
証拠隠滅のために放火しようとしたが、火災報知器のおかげで失敗したため、部屋から逃げた。
火災警報の通報を受けた消防隊員や捜査員が入って姉妹が発見され、目撃情報や指紋採取によって、山地の容疑が濃厚になる。
現場から1キロの場所で逮捕
現場から逃げた山地は、近所のコインランドリーで洗濯し、近所の公園で朝まで寝て過ごした。
その後、周囲20キロ以内を渡り歩き、ナイフを現場近くの神社に隠して半月ほどを過ごす。
現場が気になったのか、舞い戻って近くをブラブラと歩いている。
12月5日、殺害現場から1キロほどの距離で捜査員に発見されて逮捕される。
享年25歳
山地自身は犯行を認めて死刑を望んでいたため、争点は刑事責任能力の有無だけだった。
遺族は死刑を要望する署名を集め、その数は3万人近くにも上った。
2006年、大阪地裁は人格障害とした精神鑑定を採用して求刑通り死刑判決を下した。
弁護人は控訴したが、本人が控訴を取り下げたため、山地の死刑が確定した。
2009年7月28日、山地悠紀夫の死刑が執行された。
享年25歳。
山地は姉妹を刺殺した後、事件を振り返って「人を殺すのも物を壊すのも同じ」と述べている。
参考文献
「死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人」池谷孝司
「我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人」小川善照