平成7年(1995年)4月29日、京都府船井郡の山中で、首と両手がない女性の遺体が発見された。
遺体の切断面からは血が出ておらず、殺害後に血抜きされたような状態だった。
後日、女性と不倫関係にあった男が逮捕されたが、処分保留のまま釈放され、事件は今も未解決のままになっている。
京都主婦首なし殺人事件
平成7年(1995年)4月29日、京都駅から山陰本線で1時間程の園部駅から車で1時間程行った小川のほとりに、福知山市に住む男性が山菜取りに出かけたところ、小川の岸辺に横たわっている女性の遺体を発見した。
最初に遺体を発見した男性は、最初マネキンと見間違えたという。
というのは、遺体には頭部と両手がないうえ、腐敗もなく、さらには切断面から血が流れておらず、血抜きがされたような異様な状態だったからだ。
その後の警察の調べで、被害者女性は、兵庫県三田市の平島病院のパート主婦、田中久美子さん(44)ということが判明した。
園部署に捜査本部を設置した京都府警は、関係者の証言から、当時、久美子さんと不倫関係にあった45歳の会社員男性Tを9月1日に殺人並びに死体遺棄の容疑で逮捕した。
Tに対する調べにより、久美子さんの死の直前まで二人でホテルにいたことも判明した。
また、Tの車からは血痕が検出されたことから、事件はこのまま全面解決するものと思われた。
だが、男性はその後、無罪放免され、久美子さんの頭部と両手は発見されず、事件は現在も未解決事件となっている。
被害者の生い立ち
被害者の田中久美子さんは、鳥取県の米子市の定時制高校に通いながら看護婦の資格を取得した。
その後、米子市内の病院に勤務した後、兵庫県三田市に移った。
兵庫県の三田市で成人式を済ませた際に、夫と知り合ったという。
事件当時は、夫、大学生の長男と専門学校に通う次男、高校生の長女、夫の両親と祖母の8人暮らしだった。
久美子さんの家族とTの家族とは、家族ぐるみの付き合いだったが、久美子さんとTはやがて不倫の関係になる。
10年以上の不倫関係
事件当時、男性Tと久美子さんは10年以上の不倫関係にあり、事件当日も二人は一緒だった。
捜査本部は、当日の久美子さんの外出は駆け落ちとみている。
4月26日に久美子さんが自宅を出て、午前9時にTと待ち合わせた後、Tの車で福知山へ向かった。
2人が車で向かったのは、福知山市にあるモーテルだった。
モーテルにチェックインした後に、久美子さんの消息は分からなくなる。
久美子さんの死亡解剖の結果、死亡推定時刻は26日の深夜から27日の未明と判明した。
死亡推定時刻とされた時刻は、男性と久美子さんがラブホテルにチェックインした直後のことだった。
以上のことから捜査本部は犯行現場をラブホテルとにらんでTの逮捕に踏み切った。
男は釈放され、事件は未解決となった
久美子さんの血液型はAB型で、男性の車から検出した血液もAB型のものだった。
しかし、血液が古くDNA鑑定は出来ず、あと一歩で殺人立証の決め手とはならなかった。
次に捜査本部は、Tの奥さん立会いの下、T宅の焼却炉を捜索した。
焼却炉には、久美子さんの持ち物の黒ずんだキーホルダーと、溶けかけたサングラスの枠、留め金が見つかった。
久美子さんの母親に確認してもらうと、久美子さんの持っていた物であることが判明した。
捜査本部でもこの男性以外の疑わしい人物が浮かんでこなかったため、以後は男性に絞って取り調べを行った。
男性の供述は、弁護士が付く前と後とでは全然異なるものだった。
男性の弁護を務めた弁護士は、狭山事件の弁護士として有名な山上益朗氏で、山上弁護士は冤罪を訴え辣腕を振るった。
そのまま、勾留期間の期限までに自供はなく処分保留のまま男性は釈放された。
釈放されたTは、現在幸せに暮らしているそうだ。
一体なぜこんな事態になってしまったのだろうか。
出典
週刊実話
「殺人者はそこにいる 逃げ切れない狂気、非情の13事件」新潮45編集部