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平成8年(1996年)9月9日午後4時40分頃、葛飾区柴又三丁目の民家から出火があった。

1時間半後に火は鎮火したが、民家は全焼した。

焼け跡からは、上智大学に通う女性の遺体が発見された。

 

遺体を調べると、口が粘着テープでふさがれ、両手と両足もテープで固定されていた。そして首には数か所の刃物で刺された跡があった。

 

平成28年(2016年)現在も犯人は逮捕されていない。

柴又三丁目女子大生殺人放火事件概要

平成8年(1996年)9月9日午後4時40分頃、葛飾区柴又三丁目の会社員、小林賢二さん(50)の自宅から火災が起こった。

隣家からの119番通報で消防車が出動し、午後6時頃に鎮火したが、木造モルタル二階建て住宅約90㎡が全焼した。

 

鎮火後、消防員らが二階を調べたところ、両親の寝室から上智大学外国語学部に通う次女の小林順子さん(21)が遺体となって発見された。

 

発見時、順子さんは白い横じまのシャツに黄色の短パン姿で、口と両手、両足に粘着テープが巻かれており、さらにストッキングで両足が縛られていた。

首には数か所の刃物で刺された跡があった。

また、両手には争った形跡があり、犯人に襲われた際、激しく抵抗したものとみられる。

 

遺体には布団が掛けられており、布団には血痕が付着してあった。1階で発見されたマッチ箱に付着していた血液と一致している。

現場に残された血液は、A型のものだったが、小林さん家族にはA型の人間はいないため、犯人の血液と思われる。

被害者

被害者の小林さん家族は、両親と姉と順子さんの4人家族だった。

 

順子さんは事件の2日後にアメリカのシアトルに留学する予定だった。

 

大学時代は、中学生に英語を教えるサークルに所属し、ゼミでは東南アジアの文化を専攻していた。

成績はほとんどがAで、当時の彼女はアメリカに留学中の先輩と交際していた。

家庭教師をしながら、地方放送局でアルバイトをしており、明るくて人に嫌われるような性格ではなかったという。

わずか49分間の犯行

事件当日、父親と姉は仕事に出ていて、家には母親と順子さんの二人だった。

 

母親の幸子さんが午後3時50分頃に、美容院のパートに出ようと声をかけると、返事があったため、玄関のかぎをかけずに外出した。

犯人はその直後に侵入して順子さんを殺害し、その後に放火したとみられている。

隣家からの通報が午後4時39分頃、母親の幸子さんが家を出てから49分の間に犯行があったことになる。

 

司法解剖の結果、順子さんは動脈と静脈を深く傷つけたことによる出血死だった。

傷口の形状から犯行に使われた凶器は刃渡り8㎝、幅約3㎝の鋭利な刃物と判明した。

 

火元は1階東の6畳の和室と見られ、部屋を物色された形跡がなく、貯金通帳はそのまま、クレジットカードや現金には手をつけなかったため、当初は個人的な怨恨と思われた。

しかし、順子さんに恨まれる理由が見当たらず、凶器もなく、物証もほとんど得られなかった。

複数の不審者の目撃情報

出火直前、雨が降る中を小林さん宅から傘もささずに柴又駅方面へと走り去る20代から30代の白っぽいシャツの男が目撃されている。

また、午前中には現場付近をうろつく中年男性の姿も目撃されている。事件の3日ほど前には近隣で複数の家に勝手に入ろうとしている男性の姿も目撃されている。

 

事件発生の約2週間前の深夜0時頃、順子さんが送別会からの帰宅途中に男からつけられていると感じ、一度駅に戻って迎えに来てもらっているということも起きていた。

 

叫び声も聞かれてないことから、顔見知りの犯行も疑われている。

 

その他、順子さんの両足が縛られていた時のストッキングの結び方が、「からげ結び」といわれる造園業や竹垣の固定、和服の着付けなどで使われる特殊なやり方だった。

 

 

警察のポスターには、不審な男の目撃情報に「身長160センチメートルと背が低い」「黄土色っぽいコート又はレインコート(フードなし、襟がある)」「黒っぽいズボン」を挙げている。

 

しかし、複数の不審者の目撃情報も犯人の逮捕には結びついていない。

迷宮入り

事件から20年以上経過したが、現在も犯人逮捕には至っていない。