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女子高生コンクリート詰め殺人事件は、1989年(平成元年)に東京都足立区綾瀬で起きた16歳~18歳の複数の少年による殺人事件。

検察をして「犯罪史上においても稀にみる重大かつ凶悪の犯罪」と言わしめた。

発覚

昭和63年足立区綾瀬で、銀行員の妻と長男が殺害される事件(綾瀬母子殺人事件)が起きた。

捜査は難航し、別の強姦事件で逮捕された少年二人に「お前、人を殺しちゃ駄目じゃないか」とかまをかけたところ、少年の一人が勘違いして自供したことから事件が発覚した。

 

ちなみに綾瀬母子殺人事件は、犯人が見つかることなく未解決のまま時効が成立している。

犯人の生い立ち

(名前はいずれも仮名)

一郎(主犯)

昭和45年生まれの最年長。

会社員の父とピアノ教師の母との間に長男として生まれた。下には妹が一人いた。

中学校の頃は、熱心に柔道にのめり込み、私立高校に推薦入学していたが、その後いじめにあって挫折し、高校もそのまま自主退学する。

高校退学後は、タイル工として働く。タイル工として働いた後、組事務所の当番勤務をつとめるようになる。

母校の中学校に乱入してガラスを割り補導される。

事件では、集団の指導的な立場にあった。

 

出所した後、振り込み詐欺で2013年に再び逮捕されている。

 

 

次郎(サブリーダー)

昭和46年生まれで、一郎がメンバーに加わるまでは集団のリーダーだった。

小学校3年のときに両親が離婚し、ホステスやスナック経営で働く母に育てられる。

私立高校に進学したが、1年の2学期に退学している。その後、配線工やアルバイトをして過ごす。

 

出所後の2004年に再犯を起こして逮捕されている。

 

 

三郎

昭和47年生まれ。両親は共産党員だった。

病院事務長の父と看護婦の母の間に生れ、兄が一人いる。

工業高校を1年2学期に退学する。

三郎の部屋が被害者少女の監禁場所となり、輪姦、リンチ殺人の場所になった。

 

2018年に殺人未遂で逮捕されている。

 

 

四郎

昭和46年生まれ。

5歳のときに両親が離婚し、母親はスーパーで働いて子供を育てた。

姉が1人おり、姉は高校を中退して働き、働いた金銭はほとんど家に入れていたという。

工業高校に入学後、直ぐに退学する。

その後、ウエーターや空調設備の作業員などを転々として過ごす。

ゲームオタク。

 

4人の共通点

一郎、二郎、三郎、四郎に共通するのは、同じ中学校の出身で、いずれも高校を途中で中退していることだった。

 

二郎、三郎、四郎は、それまでにもちょっとした事件を犯していたが、集団に一郎が顔を出すようになってから、加速化していった。

強姦やひったくりも一郎が指示し頻繁に繰り返されていったという。

杜撰で無計画な犯行から始まった

昭和63年11月25日、一郎と三郎はその日も数件のひったくりをしていた。

 

夜8時過ぎに自転車に乗った女子高生(被害者女性・古田順子さん)がやってくるのを見て、三郎が体当たりすると、すかさず一郎が助けるふりをして近くの倉庫内に連れ込み脅した。

古田さんは、脅されたことで大人しくなり、一郎に従ってホテルへ連れ去られて行った。

 

夜11時になって他のメンバーも合流し、古田さんを夜の街に連れまわした。

一郎以外の三人は、後に「女子高生とやれればそれでよかった」と自供している。

こうして41日間にわたった監禁事件は、行き当たりばったりの杜撰な計画から始まった。

 

11月28日にみんなで古田さんを輪姦した。

合計すると13人くらいの少年が暴行、輪姦に加わったが、中心となったのは一郎、二郎、三郎、四郎の4人だった。

 

古田さんは、何度か110番通報をしようとしたり、脱出を試みたりしたが、いずれも失敗した。

脱出が失敗する度にリンチ、輪姦、暴行が加えられたという。

 

このまま古田さんを監禁していれば、捜索願が出されるのではと思った少年たちは、一郎の発案で古田さんに自宅へ電話をかけさせる。

この頃、古田さんの両親は娘の捜索願を出していた。

しかし、母親は古田さん本人から「友達の家にいるから捜索願を取り下げて」と頼まれたため、まさか娘が拉致監禁されたとは思いもよらなかった両親は捜索願を取り下げてしまう。

暴力はエスカレートしていき、やがて凄惨なリンチが始まる

古田さんが拉致によって三郎の部屋で住むようになり、しばらく経った頃、三郎の母親は不審に思って少女を家に帰らせようとする。

しかし、その度に一郎に見つかってしまい、脱出は阻止された。

母親は以前から三郎の家庭内暴力に悩まされていた。

古田さんを帰らそうとしたことが発覚したときも、三郎から暴力を振るわれ、息子の暴力におびえた母親は次第に関わらなくなっていく。

 

食事は、最初は三郎の兄が与えていたが、やがて1日牛乳1本、ときどきパンを1枚与えられる程度になる。

古田さんは度重なる暴行に我慢できなくなり「もう殺して」と哀願するが、少年らは無視した。

 

しばらくすると、元々の計画が場あたりで杜撰だったため、古田さんの存在が厄介になりだす。

古田さんを帰せば、犯行が明るみに出ることになるため、彼女を帰す方法が見当たらない。

 

 

次第に暴力はエスカレートしていき、凄惨なリンチが始まる。

古田さんにオイルをかけて火傷させると、やがて彼女の体中からは膿が出るようになり、異臭を放つようになった。

リンチで顔面が腫れ、目が判別できなくなった。

排泄物を彼女に食べさせ飲ませることも日常的だったという。

 

まともな食べ物は与えられなかったため、やがて古田さんは極度の栄養失調になっていった。

 

 

昭和64年1月4日、麻雀で負けた一郎の怒りの矛先は、古田さんに向かった。

三郎の部屋で被害者を延々と殴り続け、ろうそくに火をつけて顔にたらして皆で笑い、その後はおしっこを飲ませた。

見ていた二郎と三郎もリンチに加わり、暴行は続く。

二郎が鉄の棒で殴ったときには、彼女はほとんど反応を示さなくなっていた。

 

その後、4人がサウナから帰ると、どうも様子がおかしい。

古田さんの体に触ってみると死んでいた。

すかさず、一郎が指揮してモルタルと砂、ドラム缶を用意させ、遺体をコンクリート詰めにした。

 

3か月後、ドラム缶にコンクリート詰め状態で発見されたときの被害者は、栄養失調状態で、体中に傷があり、多数の火傷が治る暇なく化膿して異臭を放っていたという。

長時間にわたって暴行を受けたことで、外傷性ショックに陥り、胃の内容物を吐瀉したことによって窒息死したものと認められた。

少年法

少年法では、死刑と無期刑の緩和がされている。

「罪を犯すとき18歳に満たないものに対しては、死刑を持って処断すべき時は、無期刑を科し、無期刑を持って処断すべきときは、十年以上十五年以下において、懲役または禁錮を科する」と定められている。

少年らの判決

「身体的及び精神的苦痛・苦悶並びに被告人らへの恨みの深さはいかばかりのものであったか、まことにこれを表現する言葉さえないくらいである」

 

平成2年7月19日、少年に対して判決が下された。

リーダー格の一郎が懲役17年。控訴審判決で懲役20年。

 

サブリーダーの二郎は、懲役5年以上10年以下。控訴棄却。平成3年7月に確定。

 

三郎は、第一審で懲役4年以上6年以下。控訴審判決は懲役5年以上9年以下。

 

四郎の一審判決は、懲役3年以上4年以下。控訴審で懲役5年以上7年以下。

 

実名サイト

 

少年たちの中には、再び犯罪を犯す者も

一郎こと横山裕史(当時宮野裕史)は、2013年に振り込み詐欺で再び逮捕されている。

 

二郎こと神作譲は、2004年に監禁致傷事件で再び逮捕されている。

「神作譲容疑者は、東京都足立区の路上で知り合いの男性の顔や足に殴る蹴るなどの暴行を加えたうえ、金属バットで脅迫し、その後、車のトランクに押し込み、埼玉県三郷市のスナックに監禁。殴る蹴るの暴行を加え、男性に全治10日のケガを負わせた。」

 

三郎こと湊伸治は、2018年8月19日に殺人未遂で再び逮捕されている。

8月19日、埼玉県川口市で、32才男性の首を刃渡り8cmの折り畳み式ナイフで刺したとして、45才の男が殺人未遂容疑で逮捕された。この男は川口市の無職、湊伸治。彼は、約30年前に日本中を震撼させた「東京・綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯行グループの1人である。

女性セブン2018年9月13日号

 

 

 

 

参考文献

女子高生コンクリート詰め殺人事件 佐瀬稔

 

 

かげろうの家 女子高生監禁殺人事件 横川和夫