Pocket

三菱銀行人質事件は、1979年1月26日に大阪の三菱銀行北畠支店で起きた人質立てこもり事件である。

犯人の男・梅川照美(30歳)は、猟銃を持って三菱銀行北畠支店に押し入り4人を殺害、5,000万円を要求した。

猟銃を乱射して銀行員2人と警察官2人の計4人を殺害し、客を含む40人を人質にして店内に立て籠もった末に、42時間後に大阪府警察本部警備部の一斉射撃によって射殺された。

 

梅川照美

 

三菱銀行人質事件概要

1979年1月26日午後2時過ぎ、大阪市住吉区にある三菱銀行北畠支店で、突如銃声の音が響き渡った。

音のした方を振り向くと、そこにはゴルフバッグから猟銃を取り出し、威嚇している梅川照美(30)の姿があった。

 

梅川が威嚇射撃をすると、客の悲鳴が鳴り響き、恐怖で動けなくなる者や、あたふたと逃げ惑う者、泣き叫ぶ者など銀行内は騒然となった。

 

梅川は、銀行の窓口に立ち、受付の女性にバッグを投げ出し、「5,000万円を用意せえや」と金銭を要求した。

行員がバッグに金銭を詰めている中、行員の一人が電話で外部に事件を通報しているのを発見すると、梅川は猟銃の引き金を引いた。

事件を通報しようとした行員は、全身をハチの巣にされて死亡。周りにいた他の行員も流れ弾に当たって重傷を負った。

 

 

当初の予定では、警察が到着する前に用意した車で逃げるはずだった。

しかし、行員の通報によって想定していたよりも早く警察が現場に到着してしまった。

現場に駆け付けた警察官が拳銃で威嚇射撃をしたことにキレた梅川は、猟銃で警察官を射殺した。

 

ほどなくして2人の警察官が到着する。

警察官に向かって梅川が発砲すると、1人は重傷を負い、もう1人は即死した。

 

パトカーが続々と到着して、警察が銀行を包囲すると、梅川は銀行員32名、客16名を人質に取り、銀行に立てこもった。

立てこもりを決めた梅川は、シャッターを下ろさせ、小さな子供を連れた親子と妊婦を逃がした。

 

その後、「銀行の支店長はどこだ。お前がとっとと金を出してればこんなことにならなかったんや。」と怒鳴り、支店長を射殺する。

 

銀行内の一か所に人質を集めた梅川は、男性行員に上半身裸になるよう命じ、さらに女性行員には全裸になるよう命じた。

梅川は、トイレに行くことも許さず、カウンターの陰で用を足すように命じた。

 

少しでも気に食わないことがあれば、人質に怒鳴り散らしては暴行を加えた。また、人質に対して猟銃で楽しむように威嚇射撃を繰り返した。

そして、人質を盾にするかのように自分の周りを取り囲むように並ばせた。

 

人質のうちの1人であった竹内さんに、「生意気や」という理由で発砲。

急所は外れたが、竹内さんの右肩に当たりその場に倒れこんだ。

そして、梅川は他の銀行員に猟銃を突きつけ、「ソドムの市を知ってるやろ。死人の耳を切るあの儀式をするんや。」

「このナイフであいつの耳を削ぎ落せ。言うこと聞かんと撃ち殺す。」と脅迫。

重傷を負っている竹内さんの耳をナイフで削ぎ落とさせた。

 

銀行を包囲した警察の数は、1,000人以上にものぼったが、シャッターが閉められていたため、中の様子をうかがい知ることができなかった。

警察は梅川の母親を使って説得させる試みをしてみたが、事態は進展しなかった。

 

事件発生から42時間が経過した28日の午前8時40分、機会をうかがっていた特殊急襲部隊(SAT)が、梅川から人質が離れたのを見て突入した。

SATの一斉射撃は梅川の首と胸に命中し、その場に倒れた梅川は救急車で搬送されたが、9時間後に搬送先の病院で死亡した。

梅川照美の生い立ち

梅川は、1948年(昭和23年)3月1日に広島県大竹市で生まれた。紙の産地として知られた町だった。

父・繁一が46歳、母・静子が42歳の時に、ようやくにして得た男児だった。

小学生の頃は、あまり目立つ子ではなかったという。

梅川が小学校に入った頃に父親が持病で休職すると、やがて生活苦になり家庭不和になる。

梅川が小学5年生の頃に両親は離婚し、父親の実家に引き取られたが、半年後に母親のもとで暮らすようになった。

中学校になった梅川は、母親に対して暴力を振るうようになり、高校に進学すると不良グループと付き合うようになった。

やがて高校を中退した梅川は、凶悪事件を起こす。

 

大竹市強盗殺人事件

1963年(昭和38年)12月、梅川は15歳のときに生まれ故郷の広島県大竹市で、主婦をナイフでメッタ刺しにするという殺人事件を起こしている。

金銭目的で住居に盗みに入ったところ、「なかなか人がいなくならなかったので、殺してでも金をとるつもりだった。」と逮捕後に供述している。

「脅したら抵抗されたため殺した。」というのが殺人動機だった。

 

近所からの梅川の評判は、「人を信用せず、いつも周りは敵だらけみたいに気を張り詰めて、可哀想」というものだった。

その後も梅川は借金を重ね、心を許せる友人は一人もいなかったという。

ソドムの市

1976年に「ソドムの市」という映画を観て、周りの知人に得意げに話したという。

 

「ソドムの市」は、マルキ・ド・サドの「ソドム120日」をもとにした映画で、舞台は1944年の北イタリアである。

北イタリアの郊外サロにある屋敷を舞台に、ファシストの権力者が美少年や美少女を集め、ありとあらゆる変態行為を行うというもので、次第に行為はエスカレートしていき、最後には殺しにまで発展していくという物語。

 

 

梅川はよほどソドムの市が気に入ったようで、「お前ら、ソドムの市を知っとるか」「ソドムの市はこの世の生き地獄のことや、その極致をお前らに見せたる。」と言って人質に暴行したり、

「あいつの耳を切り取れ」と言って人質の耳を切り取らせている。

 

ソドムの市

 

 

 

 

 

参考文献

『三菱銀行人質強殺事件』福田洋

『危機管理 三菱銀行と猟銃人質事件の真実』大歳成行

『私は真犯人を知っている』文芸春秋編集部

『破滅 梅川照美の三十年』 毎日新聞社会部編