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大久保清は、「絵のモデルを探している」などと若い女性に声をかけては50人もの女性を車に連れ込んだ。

 

大久保清

 

大久保は、画家と偽って、通りすがりの若い女性に声をかけては車に連れ込み、ウソがばれたり抵抗されたときは容赦なく相手を殺した。

わずか41日間で8人の女性が、大久保によって次々に殺害されていった。

 

事件はドラマ化もされている。

大久保清連続殺人事件の概要

大久保清は、過去に起こした事件で服役していた府中刑務所を1971年(昭和46)3月2日に仮出所する。

出所した後、仕事には就かず、親に買ってもらったマツダのロータリークーペに乗って、道行く女性に声をかけていた。

 

大久保は、女性に声をかけるときは、車内に詩集や文学作品を置き、画家や詩人などと偽って紳士を演じた。

車内に連れ込んだ後、関係を迫って抵抗されたり、ウソがばれそうになると、逃げようとする女性を無理やり強姦して絞殺した。

こうして1971年3月31日から5月10日までの41日間で、群馬県に住む若い8人の女性が大久保によって殺害された。

 

 

1971年3月2日、府中刑務所を仮出所し、両親からマツダ・ロータリークーペを買ってもらう。

 

同月31日、群馬県の新町駅前で高校3年生(17)の女性に声をかけて榛名湖畔に連れ出し、車内で関係をもった後、ウソがばれたため絞殺。

 

4月6日、ウエイトレスをしていた女性(17)をモーテルに連れ出し、女性が身内に検察官がいると語ったことから絞殺した。

 

同月17日、県庁職員の女性(19)を軽井沢にドライブに連れ出したが、女性に正体を知っていると言われたことから絞殺した。

 

同月18日、女子高生(17)を軽井沢にドライブに誘う途中で、父親が警察官と発言したため殺害した。

 

同月27日、女子高生(16)をモーテルに連れ出した後に、父親が警察官と発言しため殺害した。

 

5月3日、電電公社職員女性(18)をモーテルに連れ出す。モーテルからの帰宅途中に過去のことを詮索されたため、正体がばれると思って殺害。

 

同月9日、会社事務員女性(21)を絵のモデルになってくれと誘い出し、途中の車内で迫ったが拒否されたため強姦の後殺害。

翌10日に、女性を心配した家族が捜索したところ、自転車を発見。そこに大久保が現れ、自転車についた指紋をふき取っていたことから家族が声をかけると、大久保は急いで逃げていった。

同月13日、車のナンバーから大久保が割り出され、逮捕された。

 

その後の逮捕で、同月10日にも前橋市に住む知り合いの女性(21)をドライブに連れ出し、関係をもった後に殺害していたことが分かった。

 

こうしてわずか41日の間に8人もの若い女性が殺害された。

大久保清の生い立ち

大久保清は、1935年(昭和10年)に群馬県碓氷郡八幡村(現・高崎市)で、3男5女の三男として生まれた。

 

比較的裕福な家庭だったが、父親は女癖が悪く、女性を連れ込んでは子供の前で平気でセックスをしていたという。さらには次男の嫁にも手を出しており、次男はその後離婚している。

 

母親は、芸者とロシア人との間に生まれた私生児といわれており、自己中心的で虚言癖があったという。

母親は、子供の中でも大久保を気に入り、「僕ちゃん」と呼んで可愛がったという。

 

大久保は、小学生のときから短気で乱暴者で他人への思いやりや協調性がなく、女生徒にいたずらしては問題を起こす嫌われ者の不良児童だった。

小学6年生の時には、近所の幼い子を連れ出して、性器に石を詰め込むといった事件を起こしている。

小学生の頃から他人のセックスや女風呂を覗いては、何度も補導され、中学卒業後に就職した先でも女風呂を覗き逮捕されている。

 

青年期になってからも異常性欲は抑えがたく、繁華街を徘徊しては女性を狙って性犯罪を繰り返した。

1962年に27歳で結婚した大久保だったが、妻だけでは異常性欲を満たすことができず、新婚当初から毎晩のように外出しては女性を誘って性犯罪を繰り返した。

新婚の妻がとがめると、首を絞めるといった暴力をふるっている。

婦女暴行事件を振り返す

大久保清は、一連の事件以前にも、過去に二度、婦女暴行と未遂事件を起こして服役している。

 

1955年(昭和30)7月、伊勢崎市の女子高生(17)を公園に誘い、強姦しようとして懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を受けている。

7月に犯した事件の判決があった1か月後の12月26日には、前橋市の女子高生をオートバイにのせて松林に連れ込み、乱暴しようとして懲役2年の判決を受けて入所。

1959年12月に模範囚として仮出所。

 

1960年4月には、前橋市の女学生を自宅に誘って乱暴しようとしている。

1965年の8月には、金銭をだまし取って逮捕される。

1966年12月、高崎市の女子高生を乗用車に乗せて強姦している。

1967年2月には、前橋市の女子短大生を車内で強姦して懲役3年6か月の判決を受けて入所。

1971年3月2日に仮出所する。

 

仮出所した後から逮捕されるまでの41日間で、127人の女性に声をかけ、うち十数人を強姦した。

 

被害者の数8人は、警察が把握している数であり、実際の被害者の数はもっといるといわれている。

人でなしの動機

大久保の自供によれば、婦女暴行で府中刑務所に服役後、妻子との同居を許されなかったために絶望したという。

また、父と妻とが淫らな関係にあると兄に言われ、前科者とののしられたことから自暴自棄になった。

 

殺害の動機は、警察に対する恨みだったという。

大久保に言わせると、本当は和姦なのに強姦にされた、本当は自分は冤罪なのだそうだ。

「暴行の被害者が訴えたから前科者にされたんだ、だから、訴えた女と同年代の17歳から22歳の女性をできる限り殺してやろう」「20人くらいの人を殺してやろう」と、あまりに自己中心的な理由が動機だった。

 

大久保は、警察の取り調べに対し、挑発的な態度を取り続け、被害者への謝罪を口にすることは最後までなかった。

死刑判決と死刑執行

事件から2年度の1973年2月22日、前橋地裁で死刑判決が言い渡された。

大久保は控訴しなかったため、死刑が確定した。

 

1976年1月22日、東京拘置所にて大久保の死刑が執行された。

 

死刑執行の際、大久保は失禁して自分では立つことができず、左右を刑務官に支えられて死刑台に向かったという。