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2010年の夏、大阪市のマンションで3歳と1歳9か月の幼児2人が母親によって放置された結果、幼児2人が餓死するという事件が起こった。

母親の生い立ち

逮捕された母親の下村早苗は、三重県の四日市で生まれ育った。

父親は不良のたまり場と呼ばれた高校のラグビー部を全国大会の常連に育てたことで有名な監督だった。

 

早苗が6歳の時に母親が浮気して家を出たことは後々まで影響を受けることになる。

公判では、中学校になってから、非行に走り、強姦にあったと述べている。

早苗は、高校に進学してからも家出を繰り返した。

就職・妊娠・結婚・離婚

早苗は、高校を卒業した後、地元の割烹店に就職する。

そこでアルバイトをしていた大学生と付き合うようになり、間もなく妊娠し、結婚する。

 

早苗は、「早くママになりたかった。」と述べており、自分が満たされない子供時代だったため、その穴埋めのためにも良いママになりたかったと語っている。

当初は、舅・姑ともいい関係で、ママサークルにも入る。

一人目の子・長女を出産後、1年ほどして二人目の子・長男を出産した。

長男が生まれてほどなくしてトラブルでママサークルを抜けることになる。

この頃から昔の友人と付き合うようになり、外出が目立つようになる。

外出が始まってしばらくすると、携帯に登録されていたアドレスから浮気が発覚する。浮気相手は学校の同級生だった。

 

早苗の浮気発覚後、家族会議で離婚が決まる。

離婚は早苗から切り出したといい、子供二人は早苗が引き取ることになった。

その際、「自分のことは我慢してでも子供に不自由な思いはさせない」といった内容の契約書を書かされている。

夫は養育費を1円も支払うことはなかった。

2人の子が餓死するまで

離婚後、子供二人を一人で育てなければならなくなった下村早苗は、キャバクラで働くことになる。

働いて得た給料は、自分のために使い計画性がなかった。

料理を作ることはなく、子供の食事はコンビニの弁当を与えた。

 

2か月ほどして子供が通路で泣いていると通報があり、警察に保護されている。

しばらくして早苗はキャバクラを辞め、市役所に子供の面倒が見られないと相談したが、期待した結果は得られなかった。

 

その後、早苗は大阪に住まいを移し、風俗店で働くことになる。

2010年5月頃、早苗に新しい男性と関係ができたことで、子供の育児は放棄される。

やがて近隣住民から「子供の泣き声が聞こえる」と児童相談センターに通報が入る。

職員は母子のマンションを訪ねたが応答がないため、不在箋を置いていった。

このことが後に何故立ち入り検査をしなかったかと批判されることになる。

 

2010年6月9日に食事を与えたのを最後に、早苗は家に帰らなくなった。

近隣住人は「毎日聞こえていた泣き声も、最後に聞いたのは6月25日だった。」と警察に証言している。

7月29日、勤め先の上司から電話があり、寮の管理人が部屋から臭いがすると言ってきたので部屋を見せて欲しいとのことだった。

早苗が部屋に帰ってみると、二人の子供は腐敗し、一部が白骨化していた。

上司が連絡し、7月30日に警察に迎えに来てもらう。

下村早苗の判決

餓死した2時の母親が風俗嬢だったことと、男と遊びまわっている様子をSNSに投稿していた事が大きくメディアに取り上げられる。

また、母親の父親が高校ラグビー界の有名な指導者であることも話題となった。

 

大阪地裁は、「幼児は空腹にさいなまれながら命を絶たれた。むごいの一言に尽きる」と、有期刑における最高刑の懲役30年の判決を言い渡した。

マンションから立ち去れば餓死させる危険性が高いとして、未必の故意を認めた。

 

母親の判決が下った際、元夫は「子どもたちが味わった苦しみを彼女にも味わってほしい」と語っているが、何故か元夫について責任を問われることはなかった。

 

 

 

 

参考