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小松川女子学生殺人事件は、1958年8月17日午後6時過ぎに東京都江戸川区にある小松川高校で起きたとされる殺人事件。

1958年8月20日、読売新聞に小松川の女子学生の殺害をほのめかす電話があり、いわれた通りに高校の屋上を調べると17日から行方が不明になっていた女子学生が発見された。

この後も、警察に被害者の遺品が送られてきたり、新聞社に犯人からの通報があったため、世間の注目を集めた。

これらのやりとりを録音したものを公開した結果、被害者と同じ学校に通う朝鮮籍の李珍宇(18)が逮捕された。

犯行から逮捕まで

1958年8月17日の午後6時過ぎ、東京都江戸川区の都立小松川高校に在籍する李珍宇は、屋上で読書をしていた一人の女子学生を発見する。

女子学生を驚かせようと、李珍宇は背後からナイフ片手に近づく。

足音に気づいて驚いた女子学生は、助けを呼ぼうとするが、慌てた李珍宇に絞殺されてしまった。

その後、李珍宇は、女子学生を屋上の物置小屋に引きずって中に入れ屍姦した。

 

女子学生殺害から4日経っても死体発見の報道がないため、少女が生き返ったのではないかと不安に思った李珍宇は、警察に女子学生を殺して屋上の物置小屋に隠してあることを自ら電話で通報した。

通報をもとに警察が小松川高校の屋上を調べた結果、女子学生の遺体を発見した。

殺害された被害者は、定時制高校2年の女子学生(16)であることが分かった。

その後も李珍宇の行動は止まらず、被害者の遺品を遺族に送りつけたり、警察や新聞社に挑発するかのように電話をかけ続けた。

犯人を名乗る男から再び新聞社に電話がかかってくると、待機していた警察がやり取りを録音する。

録音時間は、30分にも及び、警察が現場へ急行したが、警察が現場に到着した頃には犯人は現場を去った後だった。

 

1958年8月29日、新聞社が李珍宇とのやりとりをラジオで放送すると、犯人に関する情報が寄せられた。

犯人の音声を公開後、4日後に犯人が逮捕される。

逮捕されたのは、被害者と同じ高校に通う18歳の少年・李珍宇だった。

犯人の自供

逮捕された李珍宇を取り調べると、電話の内容が本当のことであることが判明した。

 

また、李珍宇は、逮捕後に1958年4月に発生していた女性(24)の強姦殺人についても自供した。

強姦殺人事件は、李珍宇の自宅から100mほどの距離で起きた事件だった。

 

女子学生を殺した動機について聞かれた際は、「驚く顔が見たかった」と答えた。

李珍宇の生い立ち

李珍宇が生まれたのは、朝鮮人部落にある貧困家庭であった。

一家は、部落の中でも差別されるなど、不幸な生い立ちであったという。

学校では、周りの同級生から給食費を払ってないのに給食を食べているとからかわれたりもしていた。

 

李珍宇は、学校の成績は優秀で頭脳明晰であったが、朝鮮籍であるという理由で就職差別も受けていた。

犯人に対する除名運動

1959年2月、反省の様子がない李珍宇の態度が裁判官の心証に影響したのか、未成年という点が考慮されず更生の見込みなしと判断され第一審で死刑判決が出された。

李珍宇は、在日朝鮮だったことから「在日朝鮮に対する差別反対」運動が起こり、多くの著名な作家や評論家、支援団体から死刑反対運動が起こった。

また、犯行当時18歳ということも影響していた。

しかし、判決は覆らず、少年法の適用外とされた。

 

当時死刑が執行されていた宮城県の仙台刑務所送りとなった。

判決と死刑執行

李は、獄中でキリスト教に入信したという。

 

1959年2月、第一審で死刑判決が下され、控訴する。

1959年12月、控訴が棄却され、上告する。

1961年8月、上告棄却により死刑が確定した。

1962年11月26日、死刑が執行された。

享年22歳という短い人生が閉じられた。