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藤沢女子高生殺害事件は、佐藤虎美によって帰宅途中の女子高生が殺害され、地中に埋められた事件。

死刑執行の際、大声で叫んで抵抗したため、何人もの刑務官によって引きずられながら死刑台に引っ立てられたという。

藤沢女子高生殺害事件の概要

昭和42年(1967年)1月13日の夜、佐藤虎美は買い物のために外出すると、向かうからやって来る帰宅途中の定時制に通う女子高生を見て襲い掛かった。

女子高生を強姦しようと襲い掛かったが、抵抗されたために乱暴した後に殺害した。

 

佐藤は、女子高生を殺害した後、遺体を空き地に埋めて逃走した。

 

翌日の14日、女子高生の自宅から約70メートル離れた市道で、女子高生が履いて外出したヒールを母親が発見、藤沢署に届け出た。

 

女子高生の捜索願が出た3日後の16日、藤沢署がに公開捜査に踏み切ると、翌17日になって横浜市戸塚区で寿司店を経営する佐藤のいとこから通報があった。

佐藤のいとこを名乗る人物からの通報により、女子高生が佐藤に殺害されて近くの宅地造成に埋められたということが発覚する。

 

藤沢署が通報の通りに付近の宅地造成地を捜索すると、約1時間後に女子高生の遺体を発見した。

藤沢署は、捜査本部を設けて佐藤を全国指名手配すると、18日の午前3時頃に佐藤を逮捕した。

佐藤虎美の経歴

佐藤虎美は、岩手県の出身だった。

 

今までに婦女暴行、強盗、放火、盗みなどのいわゆる前科者だった。

前年10月に山形刑務所を出所したばかりであった。

山形刑務所を出所後、すし店経営のいとこを頼って横浜に来て、建設現場で働くようになる。

 

犯行当日の夜にズボンを買いに行くと言って外出したところに被害者と会い、犯行に及んだ。

判決

昭和44年(1969年)1月30日、横浜地裁で無期懲役の判決が言い渡された。これに対して検察側は罪が軽いという理由で控訴した。

昭和46年11月8日、二審の東京高裁は、「婦女暴行の前歴があること、犯行の残虐さなどを考えると極刑はやむを得ない」という理由で、一審の無期判決を棄却、死刑判決を言い渡した。

佐藤は、納得がいかず最高裁に上告したが、昭和47年7月18日に上告が棄却され、死刑が確定した。

 

佐藤は刑が確定して東京拘置所に送られても反省することはなく、判決自体に納得しなかった。

佐藤は死刑判決を不服として、再審を請求しては却下されるということを繰り返した。

最期の大暴れ

昭和57年11月25日、死刑確定から10年と4か月が過ぎた頃、とうとう佐藤にもお迎えの時が訪れる。

 

所長に呼び出され「即日処刑」を知らされると、180㎝100キロの巨体を揺り動かして「なんでだっ!」暴れ出した。

「やられてたまるかあっ!」と叫んで取り押さえる刑務官を投げ飛ばし、腕を振り上げ、床を踏み鳴らしての大暴れを演じた。

何人もの刑務官が佐藤を寄ってたかって取り抑え、カーテンの向こうに直接引っ立て、首に縄をかけて強引につるすという異例な死刑執行となってしまった。

 

享年41歳。

 

 

 

参考文献

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