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「おせんころがし」の由来は、海沿いの崖から「おせん」という名の娘が落ちたからだといわれている。

房総半島の鴨川に位置し、道路が整備されるまでは外房とに内房を結ぶ最大の難所だった。

栗田源蔵

12人兄弟の極貧家庭に生まれた栗田源蔵は、子供の頃からおねしょに悩まされ、小学校のときはいじめられたという。

大人になってもおねしょはなおらず、刑務所でもおねしょをしたという。

そんな栗田源蔵だったが、彼は女性と子供を合わせて8人を殺している。

最初の殺人事件

栗田源蔵が犯した最初の殺人は、昭和22年の22歳のときである。

1年半の懲役から出獄した源蔵は、当時、22歳と17歳の二人の女性と交際していた。源蔵は、ある日、22歳の女性からしつこく結婚を迫られたため殺してしまう。そのことを17歳の女性につい話してしまい、密告されることを恐れ17歳の女性も絞め殺した。

その後も殺人未遂と窃盗で刑務所入りを繰り返す。

昭和26年8月、出所した源蔵は、窓を開けて寝ていた女性を発見、強姦してそのまま絞め殺した。

おせんころがし殺人事件

昭和26年10月10日、千葉県安房郡の小湊町を自転車で走らせていると、駅の待合室で子連れの女性を見つける。

女性を見て強姦したくなった源蔵は、送ってあげると声をかける。母親は、それを喜び5歳の男の子を荷台に乗せ、みずからは2歳の女の子を抱え、7歳の女の子の手を引いて源蔵とともにおせんころがしへと向かった。

源蔵は道を行く途中で母親に性交を要求しだし、おせんころがしに差しかかると、我慢できなくなった源蔵は、自転車を倒し男の子の首を絞めて崖から突き落とした。

次に母親にしがみつく女の子を断崖へ突き落とす。

地べたに座り込む母親を押し倒して強姦し、そのまま絞め殺した。

最後に眠っていた女の子を絞め殺して母親と一緒に崖に突き落とすと、崖の途中で引っかかっているのを発見したためとどめを刺す。

しかし、7歳の女の子だけ殺しきれず唯一助かり、三人の殺人事件となった。

逮捕

おせんころがしでの殺人から3か月後の昭和27年1月、千葉県検見川市にいた栗田源蔵は、目をつけていた家に泥棒目的で侵入。しかし、家に住む主婦(25歳)に見つかり騒ぎ立てられ、タオルで絞殺した。その後、逃げようとした叔母(64歳)を出刃包丁で刺殺。主婦を屍姦して逃走するが、指紋が検出され3日後に逮捕される。

判決

昭和29年10月21日死刑確定。

昭和34年10月14日死刑執行。

極悪非道の死刑囚も仙台拘置所に移ってからは、痩せおとろえて無罪を主張するようになっていたという。