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大久保清殺人事件

大久保清は、昭和46年(1971)3月31日から5月10日までに、群馬県で8人の若い女性を次々に誘拐して暴行したあげく、殺害して埋めた。

3月31日に1番目の女性(17歳)を殺害。4月6日に17歳の女性を殺害。同月17日に3人目の女性(19歳)を殺害。翌18日に4人目(17歳)を殺害。同月27日に16歳の女性を殺害。5月3日に6人目を殺害。同月9日に21歳の女性を殺害。翌10日に21歳の女性が殺害。こうしてわずか41日の間に8人もの若い女性が殺害された。

生い立ち

大久保清は、小学生のときから短気で乱暴者で、女生徒にいたずらしては問題を起こす不良児童だった。青年期になってからは異常性欲は抑えがたく、繁華街を徘徊しては女性を狙って性犯罪を繰り返した。昭和37年に27歳で結婚した大久保だったが、妻だけでは異常性欲を満たすことができず、新婚当初から毎晩のように外出しては女性を誘って性犯罪を繰り返す。新婚の妻がとがめると、首を絞めるといった暴力をふるった。

事件前

大久保清は、一連の事件以前にも、過去に二度、婦女暴行と未遂事件を起こして服役している。昭和30年(1955)7月、伊勢崎市の女子高生を公園に誘い、乱暴しようとして懲役1年6か月、執行猶予3年。昭和30年12月には前橋市の女子高生をオートバイにのせて松林に連れ込み乱暴しようとして懲役2年の判決で入所、34年12月に仮出所している。
昭和35年(1960)4月には、前橋市の女学生を自宅に誘って乱暴しようとしている。40年の8月には、金銭をだまし取って逮捕されている。
昭和41年12月、高崎市の女子高生を乗用車に乗せて乱暴。42年2月には、前橋市の女子短大生を車内で乱暴して懲役3年6か月で入所し、46年3月2日に仮出所している。

仮出所した後から逮捕されるまでの2か月足らずで127人の女性に声をかけ、35名のうち十数人と姦淫した。

動機

大久保の自供によると、婦女暴行で府中刑務所に服役後、妻子との同居を許されなかったために絶望したという。また、父と妻とが淫らな関係にあると兄に言われ、前科者とののしられたことから自暴自棄になっった。3月24日頃に「暴行の被害者が訴えたから(大久保が)前科者にされたんだ、だから、訴えた女と同年代の17歳から22歳の女性をできる限り殺してやろう」、「20人くらいの人を殺してやろう」と、とんでもないことを決意した。

判決

昭和48年3月、前橋地裁で死刑判決が下った。

大久保は控訴しなかったため、死刑が確定した。

昭和51年1月22日、死刑執行された。

最期の声は、「クック・・・・・・」だったという。