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夜嵐おきぬ

明治5年(1872)2月20日、東京浅草で女性が処刑され、死体がさらされた。そばには立て札が掲げられた。

「この者、妾の身分にて嵐璃鶴と密通の上、主人金平を毒殺に及ぶ段不届き至極に付き、浅草において梟首に行う者也。」

処刑されたのは、東京府貫属小林金平の妾にて浅草駒形町四番地借店 原田キヌ 二十九歳

つまり、キヌは、璃鶴(りかく)という男性と不義密通を重ねたうえ、主人を毒殺したため、不届き至極であるから、梟首(さらし首)に処したということである。

当時は、本妻以外にも妾を持つことが認められ、さらに妾であっても貞淑を要求されていた。

キヌは逮捕時、身ごもっており、「新聞雑誌」によると、キヌは獄中で出産し、産まれた子は身寄りのものに預けられたという。

 

この事件は、「夜嵐おきぬ」として評判になり、雑誌は特集を組んで、数多くの出版物も発売された。

「夜嵐阿布花の仇夢」は、上中下の三冊セットだったが、発売と同時に売り切れた。また、「夜嵐おきぬ」の芝居は人気だったという。

 

 

出典

日本猟奇・残酷事件簿 合田一道・犯罪史研究会

日本猟奇事件白書