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熊本母娘殺人事件は、1985年(昭和60年)の7月24日に熊本県上益城(かみましき)郡甲佐町で森川哲行(犯行当時55歳)が起こした殺人事件。

無期懲役囚だった森川が、熊本刑務所を出獄して一年半後の犯行だった。

熊本母娘殺人事件概要

(被害者及び関係者は仮名)

1985年(昭和60年)7月24日、熊本市から南へ20キロの上益城郡甲佐町にある「甲佐砕石工業」の経営者、谷ミツ子さん(63)と、同居していた養女の則子さん(22)が惨殺されているのが発見された。

犯行は、1年半前に熊本刑務所を仮出獄した無期懲役囚の森川哲行(55)によるものだった。

 

2つの死体は刃渡り20センチの刺身包丁で全身めった刺しにされ、2人合わせて76か所に刺し傷があったという。

 

「これだけじゃあ、気がおさまらん。いっそ、発見された時に恥をかかせるため、丸裸にして部屋のどこかに吊るしちゃろう、そう考えたのです」

森川は、2人を殺害するだけでは怒りがおさまらず、2人を全裸にして吊るそうとしたが、足元が血だらけでうまくいかず断念した。

その後、森川は血の付いたズボンを洗って乾かし、家を物色して現金40万円以上を盗んで逃走した。

生い立ち

森川哲行は、昭和5年4月10日に熊本県飽託郡天明町にある森川家の三男として生まれた。

天明町は、漁師町で気性の荒い者が多く、戦前の祭りでは腕や足の骨が折れるのは当たり前という土地柄だった。

 

哲行が2歳の時、些細な喧嘩が原因で父親が死亡するという事件が起こる。

母親は別の男性と再婚したため、残された兄弟は、父方の祖母に引き取られ、父方の叔母夫婦の手で育てられた。

引き取られた叔母夫妻は比較的裕福で、森川兄弟は可愛がられたという。

そのため兄は真面目に育ったが、どうしてか哲行は15歳の時から傷害で逮捕されている。

 

20歳を過ぎても哲行は定職に就かず、全国の工事現場を転々とし、行く先々で傷害沙汰を起こしては刑務所の中と外を行き来する日々だった。

新婚生活

森川にも人生で一度だけ落ち着くことがあった。そのきっかけが27歳の時の妙子さんとの見合いだった。

妙子さんは、母方の伯父夫婦に預けられ家業を手伝っていた。

妙子さんの親代わりの谷三十郎さんは、事件で殺された谷ミツ子さんの夫・末則さんの兄で、ミツ子さんにとっては義理の兄にあたる。

 

森川と妙子さんは、昭和34年に結婚した。

 

最初は森川が海苔の行商で生計を立て、2人の子供にもめぐまれたが、結婚後しばらくして森川は働かなくなる。

 

酒を飲んでは妙子さんに暴力を働き、妙子さんは何度も殺されかけたという。

虐待は日常茶飯事で、ナタで切りつけて妙子さんの腕の傷が骨まで達していたこともあった。

また、タバコの火を押し付けられて妙子さんの体は火傷跡だらけだった。

 

このままだと妙子さんが森川に殺されると思った仲人の三十郎さんは、二人を別れさせるため、森川に別れ話を切り出した。

1度目の殺人事件

三十郎さんから妙子さんとの別れ話を聞いた森川は、それならお金を持ってくるから待ってくれと言い、飛び出していった。

 

しばらく経っても戻ってこないため、午後8時、三十郎さんの自宅をあとにすることになり、妙子さんと母親のハツ子さんは家に戻るためにバス停に向かった。

すると、バス停の前に森川が待ち伏せていた。

 

森川が妙子さんと話をさせてくれと言ったため、ハツ子さんは森川と妙子さんを2人にさせて、少し離れた場所から2人を見ていた。

2人になると森川は妙子さんとよりを戻したい旨を打ち明けたが、妙子さんが承知するわけがなかった。

妙子さんの返事を聞いた瞬間、森川は持っていたナイフを取り出し、妙子さんの胸を刺した。

慌ててハツ子さんが止めに入ると、今度はハツ子さんを何度も刺した。

2人は救急車で運ばれ、妙子さんは一命をとりとめたが、ハツ子さんは出血多量で死亡した。

 

森川は金をとりに行く振りをしたと見せて、ナイフを買いに行っただけだった。

逮捕後の森川の供述によれば、最初から殺すつもりだったという。

 

森川は逮捕され、昭和37年11月、無期懲役の判決が下った。

初めての仮出獄

無期懲役の判決が下った森川は、仮出獄したときに備えて復讐の計画を立てた。

森川は後日、「服役して考えたことは・・・・・・谷一族に対する恨みでした。」、「なぜおれがこのような苦しい目に合わなければならないのか、と思うようになり、憎しみがますます募ったと語っている。

つらい刑務所暮らしも「仮出獄したらこの苦しみを何倍にも返すことを考えて頑張った」というのだ。

 

事件から14年、森川は仮出獄する。

出獄した森川は、叔母夫婦の林田夫妻のところに身を寄せたが、相変わらず仕事もせず、朝から酒を飲むという生活だった。

生活態度を改めるように叔母夫妻が注意すると、刺身包丁で追いかけ回して殺そうとする。

騒ぎを聞いて駆けつけた実の兄の道雄さんが仕方なく110番してようやくおさまったが、森川は刑務所に逆戻りされることになる。

今度は、叔母夫婦と実の兄に対しても復讐することを決めたという。

復讐ノート

仮出獄が取り消されてから5年半を経て、2度目の仮出獄で再び森川は社会に放たれた。

 

実の兄からも見放された森川の身元引き受けは、北九州市の保護観察施設寮がなった。そして殺人計画はこの寮で計画された。

 

森川が立てた殺人計画では、まず妙子さんを一番最初に狙うことにしていた。妙子さんだけでなく、妙子さんの親類縁者までが復讐計画のターゲットにされる。

2番目のターゲットは、三十郎さんと一緒に仲人となった三十郎さんの妻だった。

3番目のターゲットは、三十郎さんの弟・末則さんの妻ミツ子さんで、理由は妙子さんのことで相談にのってくれず、妙子さんの再婚相手を紹介した末則さんの妻だからだった。

4番目のターゲットは、妙子さんの叔母に当たる人だった。理由は裁判で「死刑にしてくれ」るよう発言したからだという。

5番目のターゲットは、可愛がって育ててくれた叔母夫婦だった。理由は仮出獄を取り消させたことだった。復讐計画は兄の道雄さんにまで及んでいた。

 

こうしてターゲットを大学ノートにリスト化してどうやって殺害するかを計画した。

2度目の凶行

最初は妙子さんの殺害を第一に考えた森川であったが、当然、親戚は妙子さんの居場所を教えてくれない。森川の復讐を恐れた妙子さんは親戚にも居場所を教えなかったという。

次第に所持金もなくなっていった森川は、半ばやけくそになり、恨んでいる人間を次々に殺していくことに計画を変更する。

金物屋で刺身包丁を購入し、2番目のターゲットだった谷未亡人の自宅を訪ねたが、その日はたまたま谷未亡人は犬を近所から預かっており、犬を警戒した森川はこの日の襲撃を諦めた。

 

 

次にターゲットとなったのが、谷ミツ子さんだった。

谷ミツ子さんは、養女の則子さんと二人暮らしだった。

 

7月24日午前2時過ぎ、森川はミツ子さんの自宅のクーラー室外機の上の出窓から侵入した。

2人はミツ子さんと一緒の部屋で寝ていた。

森川はそっと侵入し、ミツ子さんを見下ろしながら、立ったままミツ子さんの顔に包丁を突き付け、妙子さんの居場所を聞いた。

ところがミツ子さんは「知らん」の一点張りで居場所を言わない。

それを聞いた森川はミツ子さんの胸を包丁で突き刺し、そのまま首、胸、腹、肩、とミツ子さんの身体中をメッタ刺しにした。

音を聞いて則子さんが目を覚ましたことに気づいた森川は、則子さんに襲い掛かり、続け様に包丁で刺した。

則子さんは刺されながら電話へたどり着き、警察に電話しようとしたが、それに気づいた森川に背中を再び刺され受話器を取り上げられた。

その後も二人は何度も刺され、二人の遺体には合わせて76か所の刺し傷があったという。

 

二人を殺害した森川は、部屋を物色し現金40万円以上を盗んで逃走した。

逃走後から逮捕まで

ミツ子さんと則子さんを殺害した森川は、馴染みのスナックへと向かった。

 

テレビでは早くも事件のことがニュースとなっていることを知った森川は、タクシーで熊本県の立願寺温泉という温泉町へ向かい、ここで知り合った主婦と意気投合し、主婦の行きつけのスナックのママと三人で酒盛りをした。

スナックで酒盛りをしていると、そこへホステスが来たため、そのホステスと主婦を誘って三人でモーテルへと行った。

森川は二人と交互にセックスをして、夜には二人を連れて飲み歩いた。

5日後、モーテルを出て荒尾市にある競馬場へ出かけたが、そこに張り込んでいた刑事に取り押さえられて逮捕された。

恨みを晴らす計画でいっぱいでした

逮捕された森川は、恨みを晴らすことでいっぱいで、自分なりに殺す相手に順番を立てて、ノートに家族構成などと共に記入したと供述している。

「私は、無期懲役囚で仮保釈中の身ですから、今度捕まればいつ刑務所から出られるか分かりません。それなら、いっそのこと恨んでいる連中を皆殺しにしてしまおう、そう思いました。だから、谷ミツ子や則子を殺したことについても、何も反省していないし、反省するぐらいならこんな事件は起こしません。それより、二人を殺したぐらいではまだまだ足りない。それが正直な気持ちです。」

親戚から望まれた森川の死刑

取り調べでも親戚全員を殺せなかったのが残念だと語った森川は、公判でも同様の発言をしており、親戚からも死刑を望む声が上がった。

 

平成4年9月24日、第一審で森川に死刑判決が言い渡された。

 

平成11年9月10日、森川の死刑が執行された。

 

親戚の一人は、死刑判決が出た後も森川が殺しに来るのではないかと恐怖したという。

森川の死刑執行を知って初めて森川から解放されたと語っている。

 

 

参考

「殺人者はそこにいる 逃げ切れない狂気、非情の13事件」新潮45編集部