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ホテル日本閣殺人事件

ホテル日本閣殺人事件は、1960年に栃木県塩原温泉郷にあるホテル日本閣の経営者夫婦が小林カウと大貫光吉によって殺害された事件。

小林カウは、以前から男好きとして有名で、逮捕後も捜査官や裁判官に対して色仕掛けで迫った。

事件の経緯

1960年、小林カウ(51)は栃木県塩原温泉郷で終戦直後の闇商売で稼いだ資金を元に土産物屋と食堂を経営していた。

金にがめつく男癖が悪いことで近所では評判だったという。

 

1960年、このときもホテル日本閣主人の生方鎌輔(52)と不倫中で、鎌輔の妻を殺害して後釜として旅館の女将になろうと計画していた。

1960年2月、当時、温泉街の流れ者だった大貫光吉(35)を使って生方鎌輔の妻ウメに殺害を指示。最初は渋っていた大貫だったがカウの執拗な要求に押されついに生方ウメを絞殺した。

ウメ絞殺後、カウ、鎌輔、大貫の三人は、ウメの死体を前にして酒盛りをした。

ウメの遺体は裏山に埋め、鎌輔にはウメが家出をしたように偽装工作させ、カウはホテル日本閣の旅館女将におさまった。

 

1960年大晦日、カウは大貫と図って生方鎌輔を殺害した。

2か月後、カウと大貫は逮捕された。

塩原のお伝

逮捕後の自供で小林カウは、8年前にも当時の夫を青酸カリで毒殺していることが判明した。

また、いずれは旅館を放火して保険金を騙し取り、光吉も殺すつもりだったことを自供した。

当時のマスコミは、カウを明治の毒婦高橋お伝になぞらえて「塩原のお伝」と書いた。

 

逮捕後のカウは相変わらずで、検事に色仕掛けで迫ったり、ホテル日本閣が競売にかけられることを知って暴れた。

判決

1963年3月、宇都宮地裁の第一審判決は、死刑だった。

命乞いのために書いた上申書は、いい分けと他人への罪の擦り付けが書き連ねてあるだけのものだった。

東京高裁でも控訴は棄却され、1966年7月14日の最高裁判決でも上告は棄却され死刑が確定した。

1970年6月11日、死刑執行。享年61