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女性連続毒殺魔事件とは、1960年に熊本県熊本市で、杉村サダメが借金目的で毒物を使って3人を殺害、1人を植物状態にさせた事件のこと。

戦後2人目の死刑執行となった。

女性連続毒殺魔の事件概要

昭和35年(1960年)11月6日、杉村サダメは、金銭目的のために死亡した夫の母クラに農薬ポリドール入りの乳酸飲料を飲ませて殺害した。

当時のサダメには、借金があり、借金の返済に迫られての犯行だった。

クラは、貯めた小金をいつも肌身離さず持ち歩いていた。

ところが、クラは金を持っておらず、サダメの目論見は外れた。

しかし、クラを診察した医者は、死因を卒中として処理したため、サダメのクラ殺害事件が発覚することはなかった。

 

同年12月14日、次にサダメがターゲットとしたのは、隣に住む主婦の嘉悦タケさんだった。

馬肉に農薬を混入して食べさせて毒殺したが、財布を手にかけたところを家人に見つかり、何も奪うことができなかった。また、このときも医者の診察は脳卒中だった。

 

次の犯行は12月18日、顔なじみの行商人山村富士子さんがに対してだった。

サダメは、富士子さんに農薬入りの鯛味噌を食べさせたが、食べた量が少なかったため、死に至らなかった。ただし、内臓から脳まで毒が回り、廃人同様となった。

この犯行でサダメは1万3,500円を奪い、初めて金銭を手に入れることができた。

しかし、この殺人未遂によって事件が露見することになった。ただし、逮捕までにもう一人殺害している。

 

12月28日には、行商人の奥村キヨノさんに農薬入り納豆を食べさせて殺害した。

23日間という短期間で3人の殺害と1人の殺人未遂を犯しておきながら、犯行後も逮捕されるまで普段と変わらぬ様子で生活していたという。

逮捕

4人目の被害者である奥村キヨノさんを殺害した翌日の12月29日に、サダメは熊本市川尻署の警察官に、富士子さんの事件について任意同行を求められる。

 

最初は何も知らないの一点張りで容疑を否認していたという。

しかし、警察がサダメの自宅を家宅捜査すると、犯行に使われた納豆の入った壺や鯛味噌が残った小皿が、物的証拠として発見され、押収される。

また、奥村キヨノさんの死体から毒物が検出されると、さすがのサダメも観念して容疑を認めた。

翌30日に嘉悦タケさんの死体解剖の結果、医師の判断が誤りであると判明し、サダメはタケさん殺害についてもいっさいを自供した。

お金に困っての犯行

杉村サダメは、逮捕後の警察の取り調べに対し、「年末をひかえ、借金の返済が迫っていたため金が欲しかった」と犯行の動機を自供している。

借金の金額は、全部で16万5,800円あったが、差し迫ったほどのものではなかったという。

また、サダメには盗難癖があったという。

生い立ち

杉村サダメは、明治44年(1911)の12月29日に生まれた。

昭和5年(1930)にとび職の男性と結婚し、翌年には長女を出産している。

 

しかし、夫は酒癖と女癖が悪く、結婚して10年後には子連れの女が転がり込み、一緒に生活していたという。

 

昭和25年に婿養子をむかえ、28年に夫は死亡していた。

 

翌29年にはサダメにも新たな愛人ができ、同棲生活が始まる。

ただ、相手には妻子がおり、男の稼ぎの全ては妻子のもとにいっていた。

愛人との同棲が、サダメの借金の原因とも言われている。

戦後2人目の死刑執行

昭和38年(1963年)3月28日、杉村サダメの死刑が確定した。

昭和45年9月19日に福岡拘置所においてサダメの死刑が執行された。

享年59歳。

 

死刑執行の言い渡しを受けてもいっさいの動揺を見せず、身の回りの整理をして堂々としていたという。

やがて所長から最後の別れがきたことを告げられると、刑務官に今までの世話に対する礼を述べた。

死刑台に進む際も堂々としており、見事な最期だったという。