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愛媛・松前町殺人事件(保険金実母等殺人事件)

保険金実母等殺人事件は、1971年に愛媛県で起きた殺人事件。愛媛で金融業と不動産仲介業を営む立川修二郎は、姉と共謀して母親を交通事故を装って保険金目当てで殺害し、保険金を受け取った。その後、母親殺害時に居合わせた妻からの発覚を恐れた立川は妻を殺害して立川の兄が営む鍛冶場に埋めた。

2015年の4月に放送された「奇跡体験!アンビリバボー 実録国内事件簿」が分かりやすかったので、ここからは奇跡体験アンビリーバボーの話を中心に進めます。

奇跡体験!アンビリバボー 実録国内事件簿

今から62年前、愛媛県の民家で煙を伴う異臭騒ぎが起きた。それが、20年後に起こる日本を揺るがす連続殺人事件の負の連鎖の狼煙とはそのときは誰も思うものはいなかった・・・・・・。

 

1973年1月、一人の女性が警察署を訪ねたことから始まった。

その女性の姉が半年前から連絡がとれないため、姉の嫁ぎ先に連絡をすると、姉の嫁ぎ先から「男を作って逃げた」といわれ、不審に思った女性は警察で姉を探してほしいといい、姉の名前を「佳子(仮名)」と警察に伝えた。

その名前を聞いた警察は8か月前の事件を思い出す。失踪した佳子は、8か月前に夫に殺されると言いながら警察に駆け込んできた。しばらくして夫の立川修二郎が現れ、ただの夫婦喧嘩だと警察に伝える。夫の立川修二郎は、愛媛で金融業と不動産仲介業を営み厳しい取り立てで知られており、評判は良くなかった。結局、その日は夫婦喧嘩ということで処理され、夫婦一緒に帰った。

 

その後、失踪した佳子さんを捜索していた担当刑事は、夫のところに事情を聴きに行くと、夫は「佳子は男を作って出ていった」から知らないといわれた。

そのまま3か月が経過した頃、新しい管理官が赴任してきて、この事件についてもっと入念に調べるように事件の担当刑事に伝えた。新しい管理官は敏腕刑事として知られた人物であった。

 

担当刑事が立川を調べていると、2年前に立川の母親が自宅前の国道で交通事故に遭ったことを知り、事件当時の通報者は姉の里子だった。

自宅前で起きたことから姉の里子だけでなく、立川修二郎、修二郎の兄の伝一郎、修二郎の妻の佳子も現場近くにおり、警察が駆けつけたときには一家全員が現場にいた。

事件を通報した里子は、駆けつけた警察に事件の概要を伝え、ひき逃げ犯人が運転するトラックのナンバーも警察に伝えると、事件現場から数キロ離れた場所で犯人が捕まった。

ところが、運転手の身柄を確保してみると、運転手は認めず、トラックからも事故の痕跡が認められなかったため、不起訴処分とされた。

これらの話を聞いた管理官は、立川修二郎に何かあると考え、担当刑事に修二郎を中心にもう一度事件をチェックするように言う。

 

担当刑事が修二郎を調べると、事件の少し前に不動産取引で1,600万円の横領事件で訴えられ、判決前に全額を返還して逮捕を免れていた。また、母親の死亡によって4,000万円の保険金を受け取っていたことも分かった。さらに調べると母親の死亡について写真を医者に見せると事故に不審な点があることも判明した。

修二郎の過去を探ってみると大学時代に交際相手の父親を襲って逮捕されていたことも分かった。

修二郎と母親、姉の里子の仲は非常によく、修二郎は母親に甘やかされて育ち、逮捕された後も仲良く過ごすほどだったという。

 

一方、修二郎の妻の佳子の失踪について佳子の妹のアパートに聞き込みに行った刑事は、妹から衝撃的な話を聞く。

妹は、母親の事故についての真相を姉から聞いていたのだった。


事故当日の午後10時頃、立川家の居間には修二郎、里子、母親、佳子がいた。午後10時過ぎに佳子が入浴をしていると、女性の悲鳴が聞こえた。

慌てて見に行くと玄関で母親が頭から血を流して倒れていた。その場には修二郎と里子もおり、修二郎の手には血の付いたコンクリートの塊の様な物があった。

修二郎は、妻に「これがバレたら死刑になる。見なかったことにしてくれ。」といったという。

その後は、家族全員で事故死に見せかけた。

 

妹の証言によって事件の全貌が明らかになったが、決定的な証拠を見つけることは困難だった。

警察は一度、任意で修二郎と里子を取り調べてみようとするが、二人の供述は口裏を合わせたかのように一致していた。

再度、警察は証拠品を洗い直して検証した。その中にはトラック運行状況を知ることができる物があった。

 

事故を通報した里子を呼び出し、トラックの運行情報について分析してみたらひき逃げ犯が時速40キロで走行していたことが分かったと告げた。

事故が起きてから外に飛び出してトラックのナンバーを確認するには、5秒~10秒かかるため、時速40キロで走行するトラックは50m~100m先にあるから里子の発言には無理があることを伝えると、里子は観念し事故が偽りであることを認めた。

観念した里子は、事件の経緯を話し出した。

当初の予定では、母親を殺すつもりはなく、修二郎が横領した金額を母親が紛失したことにして事故としようとした。しかし、母親は警察の厳しい捜査に耐えられず本当のことを言ってしまった。これに激怒した修二郎は、このまま何もしなければ逮捕されると思い母親の殺害を決意する。母親殺害の6か月前、修二郎は姉の里子と兄の伝一郎を呼び出し母親殺害の協力を要請する。当初は反対した二人だったが、修二郎が捕まれば犯罪者家族になると脅され容認することになる。

 

兄の伝一郎の鍛冶場は、立川家の離れにあり、同じ敷地内だった。

事件の捜査中、鍛冶場に段ボール箱が運び込まれたのを目撃したとの情報が近隣住民からもたらされたため、兄の鍛冶場を掘り起こしてみると、白骨化した妻の佳子の死体が発見された。

母親殺害後、修二郎の女癖の悪さから夫婦喧嘩をしたときに佳子は「あのことをバラしてやる」と口にしてしまう。それを聞いた修二郎は、妻佳子の殺害を決意。

 

姉と兄を呼び出し妻の殺害に協力するように要請する。この時も二人は反対したが、修二郎に押し切られしぶしぶ協力させられることになる。

修二郎は妻佳子を殺害しようとしたが、間一髪のところで佳子に逃げられ、警察に駆け込まれた。その場は何とか夫婦喧嘩ということで処理された。

次は、修二郎と兄伝一郎の二人掛かりで佳子を殺すことにし、殺害。ダンボールに詰めて鍛冶場に運び埋めた。

 

次の捜査は、何故、兄と姉が弟修二郎にここまで振り回され、付き合わされるのかという点だった。

実は警察は、佳子さんの遺体見つけた際、近隣住民から「他の遺体は見つからなかったのですか?」という質問を受けていた。

他にも遺体が埋まっている!

そのことについて兄の伝一郎に聞き込みをすると、観念した兄は、20年前のことを話し始めた。

 

約20年前の冬、修一郎の父親宛に息子の修一郎から運送会社が荷物を運んできた。

追うようにして修二郎が帰宅すると、父、兄、修二郎の三人で鍛冶場に穴を掘って荷物を埋めたという。

荷物の中身は、修二郎が他人に頼まれて殺害した男だった。

1年2か月後、一度埋めた遺体を掘り起こし、焼却することを計画したが、匂いがきつく近隣住人が異臭がすると騒ぎだした。やむなく遺体の焼却を中止した。

話を聞いた捜査本部は、遺体の身元を確認しようとしたが、遺体が発見されなかったこともあって特定には至らなかった。

 

裁判では、兄伝一郎と姉里子には懲役15年。修一郎には死刑の判決が下された。

事件発覚から20年後の1993年3月26日に立川修一郎の死刑が執行された。

家族全員がクリスチャンだったという。