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消防士連続殺人事件は、前科を偽って消防署員に合格した勝田清孝が、1972年から約10年にわたって犯した一連の事件。

立件された殺人は8件だが、実際には20人以上を殺したともいわれており、他にも300件以上の強盗や住居侵入などの犯行を自供している。

凶悪犯だった勝田は、死刑を免れるために本を出版したり、ボランティアに精を出してみたが、死刑判決が覆ることはなかった。

テレビ番組に出演

勝田清孝は、1977年8月20日、関西で人気だったクイズ番組に出演している。

 

当時すでに勝田は何件かの殺人を犯していたが、何食わぬ顔で妻と共に笑顔で出演していた。

テレビ番組出演した同月にも殺人を犯している。

人を殺しておいて、6日後にテレビ収録に参加していたことは、警察の捜査を誤った方向に進ませた。

昼は消防士、夜は殺人鬼

勝田は、1948年に京都府相楽郡木津町で農家の長男として生まれた。

高校の頃にひったくりで少年院送りとなり、退学処分になっている。

少年帰りの影響で、その後、勝田は職を転々とすることになる。

 

隣町に住む1歳年下の女性と交際をした後に結婚を申し込むが、女性の両親に「少年院帰りとは一緒にできない」と断られる。

断られた2人は、大阪へと駆け落ちした。

 

運送会社で働き始めた勝田は、近隣で起きた暴行殺害事件で警察に疑われる。

このことがきっかけで、勝田は警察に対して不信感をもつ。

 

消防職員に就職した後の仕事ぶりはまじめだったが、金遣いが荒く借金もあったため、空き巣を考えるようになる。

勝田の凶行

1972年9月、最初の殺人は、京都市のホステスのマンションで起こした。

金品を盗むために空き巣に入ると、ホステスに見つかって騒がれたため、強姦した後絞殺した。

ホステスのバックに大金が入っていたため、水商売の女性にばかりに狙いを定めた。

 

1975年7月、大阪吹田市でクラブ経営の女性を絞殺する。

市内のため池で死体を棄てた後、現金10万円を奪って逃走した。

 

1976年3月、名古屋市の路上でクラブのママを襲い首を絞めて殺害した。

遺体は被害者の車を使って郊外に遺棄し、現金12万円を奪って逃走した。

 

1977年6月、名古屋市にある麻雀荘の女性店員のマンションに侵入し、犬の散歩から帰宅したところを首を絞めて殺害した。

女性の部屋から現金4万円を奪って逃走した。

 

1977年8月、名古屋市で空き巣先を物色していたところを美容指導員の女性に発見される。

女性にしつこく非難されたことから、女性の首を絞めて殺した。

女性を殺した後、部屋から50万円相当のダイヤを奪って逃走した。

銃を使った殺人

1977年10月、銃があれば脅すだけで金品を奪えると考えた勝田は、銃猟店の前に停車していた車から猟銃を盗み出す。

 

銃を持った勝田は、さらに狂暴化していく。

 

1977年12月、神戸市の労働金庫の職員男性を盗んだ猟銃で射殺し、現金410万円と小切手が入った手提げかばんをを強奪した。

 

1980年7月、名古屋市にあるスーパーへ押し入り、店長の男性を猟銃で射殺する。

その後、金庫にあった570万円を奪って逃走する。

 

勝田の犯行は次第にエスカレートし、事故の通報を偽って警察官を呼び出し、駆けつけた警察官を車で轢いて銃を盗んだ。

 

1982年10月、滋賀県草津市では、ヒッチハイクをするために呼びとめた男性に警察官から奪った拳銃を見られたことから射殺した。

殺害した男性からは、4万円の現金を奪った。

勝田清孝の逮捕

1983年1月、名古屋市の第一勧銀御器所支店の駐車場で、引っ越し会社社長の男性が車に乗ろうとしたところを、勝田は助手席に乗り込んで拳銃を突き付けて脅した。

 

男性は、指示通りに車を出すが、勝田が通行人に気を取られている隙をついて拳銃を払いのけ、周りに助けを求めながら勝田に馬乗りになって押さえこむ。

通行人の通報で駆け付けた警察官によって勝田は逮捕された。

 

逮捕された勝田が自供を始めると、迷宮入りになっていた事件の全貌が明らかとなり、愛知県警は騒然となったという。

 

勝田は他の殺人事件についても自供したが、立件できたのは8件だった。

300件以上の強盗、住居侵入を犯した勝田は、33の罪で起訴された。

殺人鬼でも自分の命は重かった

逮捕後の勝田清孝は、罪を軽くするために写経をしたり、自分の過去についての手記を出版した。

出版した本は、いい分けばかりで評判は散々だった。

結局、勝田は世間の同情を買うことはできなかった。

 

次に勝田は、点字のボランティアを始めたが、死刑判決が覆ることはなかった。

判決

1986年3月、名古屋地裁は勝田に死刑判決を下した。

1988年2月、名古屋高裁において控訴が棄却される。

1994年1月、最高裁で上告が棄却され、勝田清孝の死刑が確定した。

2000年11月30日、勝田の死刑が執行された。

享年52歳であった。